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 断捨離、全捨離、片づけなどの順番の違いなどで揉め、更にエネルギーを費やしても、少しずつ前進をする。 絶賛、実家断捨離継続中


 
 今晩は。


 今日は、また意外なことで、自分のエネルギーを費やしたが、また前進する機会に恵まれたと思いたい。

 

 このところ、自分以外の家族のガラクタや、モノ達の断捨離に追われ(母にも母のガラクタや、モノの廃棄を丸投げされる)、自分のガラクタやモノ達の断捨離まで手が回らず、なんとかやっていたが、外出先から帰ってきた母の開口一番。
「全然片づけが進んでいない」


 前の記事でも書いたが、母の断捨離の優先順位と、私の断捨離の優先順位は、そもそもが違う。
 私は、自分も持ち物以外の家族のガラクタや、モノ達の処理や廃棄に追われており、その上、一人力でできることには、リソースの限界がある。

 
 私としては、母のコレクションを一つでも、誰かにあげるなどをして、少しでも減らしてもらいたい。
 使われていない母のコレクション達が、ゴロゴロされていては、私に言わせれば、正直に言って邪魔でしかない。

 

 
 だが、母に言わせれば、全然片付かないのはなぜ?
 ゴミを分別し、解体をし、ゴミの出し方などが不明であれば、役所に問い合わせをし、家庭ゴミとしてできれば私は、ゴミの処理費用を少しでも安くしたい。
 消火器だってそう。 車の発煙筒だってそう。 車のタイヤのパンク修理材だってそう。


 それぞれ廃棄してくれる業者さんや、ディーラーさんに連絡をし、廃棄の依頼が必要なのも、廃棄費用がかかるのも、全然考えていない母。



 よく、モノ屋敷や、ゴミ屋敷を完全に綺麗に片付ける業者さんの記事などを拝見をしていると、ゴミの処分費用もこのところ、値上がりをし続けているそうだ。

 
 例えば、紙ごみ中心の燃えるゴミだけなど、分別があまり必要でないモノ屋敷や、ゴミ屋敷なら費用はかからないが、そこに産業廃棄で必要なガラクタやゴミが出てくれば、別途更にそれらの処分費用は、その分かかる。

 
 人は、自分に限ってと心のどこかでは思っていたり、自分とは違うまるで遠い世界のように考えていることもあるが、いつかは必ず断捨離や、全捨離、片づけは自分の持ち物に対して、本格的にやらなければ、いつやるのか?

 

 母の例を出せば、母のコレクション達は使われ、日の目を見るのは、一体いつなのか? 
何年後なのか?


 母のコレクションの多さに、先日辟易をしていた私がキレた時に、母が私に言った。
「過去に買っちゃったモノに対して、今更過去の事をグチグチ言ってもしょうがないでしょう?」

 

 確かに母の言う事はそうだ。 
 過去に母がホイホイと買い、未だに値引きセールの値札が貼られたままの、母のコレクションに対し、私が、あーだこーだ言っても始まらないのは、私もわかってはいる。
 だが、母のコレクションが死蔵品のままでいるのは、このまま残されても私は、正直に言えば困る。

 
 
 世の中の一定数以上の人達が、実家の断捨離などで苦労や、疲弊などをしているのが、現実ではないだろうか?


 先日消火器を捨てた際、父が
「まだ使えるだろう?」
と私に言った時、

 

 

 私は一つ気が付いたことがある。



  歳を重ねると、時間の経過がどのくらい前のモノでも使えると、考えやすい傾向にあるのだと。
 また、時間の経過の感覚が無いのか、失われたのかはわからないが、対象物が古い、新しいというモノの感覚が、人により皆無な人も、中にはいるのだということに。

 
  

 例えば、消火器の製造年が、20年以上前のモノだと仮定をする。
 通常であれば、もう古いから使えないと考える人が多いと思うが、中には20年以上前のモノでも、今でも使えると思う人がいるという現実に、私は驚く。
 私の父がそうだからだ。


 うちの実家のように、家族のモノが色々と混ざっていると、所有者の把握や分別だけでも大変であるし、中には誰のかさえも、記憶に残っていない時がある。


 それでも、コツコツと淡々とやっていくしかない。
 それが王道であり、それしか方法がないからだ。

 

 そこに、家族の基準や、価値観などが複雑に絡み合うと、エネルギーの消費が更に加速し、エネルギー切れで断捨離などが進まない日々が続く。


 今は、一日一捨てなどではないが、このままコツコツと日々続けていけば、この先、そういう日が来ると思いたいし、少なくとも自分のモノの関しては、モノの入口と出口の戦略をしっかりとして行きたいと今日、改めて思った。



 家族が多いと、断捨離や、全捨離、片づけなどが大変だという話も、巷ではよく見たり聞いたりはするが、家族や家庭は社会の縮図なので、そこから全ては始まるのかもしれない。

 


 断捨離や、全捨離、片づけ以外などで、自分のエネルギーが酷く消耗されようが、一ミリでもいい。
 紙の一枚だけでもいい。
 一昨日よりも、昨日よりも、今日と、毎日一ミリづつでも進んでいれば、時にはやりきれなくなっても、きっとそれらが積み重なると、塵も積もれば山となると、私は信じたい。



 今年の年末には、これだけ断捨離できた!! 
 進歩した!! ガラクタやモノが減った!! 
という一年にできたらと思う。

 
 2025年の一年間で、私がやったことは何?
 という質問を、もし誰かに尋ねられたとしたら、
 これだけのガラクタや、モノが減らせたんです!
 私の中では、これが革命だったんです! 
 と言えるようにしたいと思う。


  
 皆さん、今日一日お疲れさまでした。

 

 
 



 

 


 





 

 

 
 


 

 

 
 

 

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ひかり @モノ屋敷の実家を、絶賛断捨離中。同時進行で、汚部屋とモノ屋敷の部屋の脱出を目指し中。
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