食べ物の話
山納銀之輔さんの食べ物の話
村から街に戻ってきた。
日本からのお土産のカップラーメンをみんなで食べた。
うんまくて懐かしくて嬉しかった。
これ考えた人って天才!
そして同時に俺たちがどれだけ研ぎ澄まされていたかが良くわかった。
食べた後、突然みんながぼんやりした、体がだるくなり、全員が眠くなった。
たぶん化学調味料のせい。
原材料名に書いてある《アミノ酸等》
俺たちは自然界にある恵みだけを食べて45日間暮らしてきた。
マサイ族ほどでは無いけど、身体が研ぎ澄まされて、五感だけじゃなく第六感までキレキレだった。
化学調味料がこんなにぼんやりするとは思わなかった。
日本人は、慣れすぎて、ほとんどの人がぼんやりしている。
朝から晩まで化学調味料を食べてるから、ぼんやりしてることにすら気づかない。
じゃなかったら、こんなに洗脳されるはずがない。
外食だけじゃなく、コンビニやスーパーに食べ物を買いに行っても、化学調味料がほとんど入っている。
化学調味料がなくても、食材がよかったらとても美味しいものがたくさんあるのに、アミノ酸等が入っていないものを探す方が大変な国だ。
世界的にも珍しい国。
なんでそんな国になってしまったかというと、食品衛生法だかっていう法律で、アミノ酸等を入れないと保健所の検査が通りにくくて、売りにくい国だからだ。
もし俺が総理大臣だったら一気に廃止するけどな。
俺んちでは、母ちゃんが昔から健康を気にしていた。マクロビなんて言葉が日本に無い頃から、自然食を主食にしてたから、子供の頃から化学調味料がない家庭で育った。
そのおかげで絶対味覚ができて、料理研究家になれたから今は感謝しかない。
化学調味料は、舌で感じる旨味もぼんやりするだけじゃなく、身体も脳もぼんやりする。
本当の旨いものは、身体が喜ぶ。
身体が喜ぶと、心が喜ぶ。
人間が幸せになるために必要なもの。
《食欲》《性欲》《睡眠欲》
それを満たすために必要なもの
《衣》《食》《住》
どっちにも《食》が入っている。
食が満たされたら人は幸せの三分の一が満たされる。
とっても大切なことだ。
俺はこれからもずっと、人々に本当の豊かさを伝えるために、世界中の食材と料理文化を研究し続ける。
タンザニアの田舎には添加物がない。
一体どう添加したらいいかわかんない。
そもそも添加物って、長持ちさせるため?
タンザニアのように、その日その日に食べられるものを食べてる人たちは、いつでも食べたい時に新鮮なものが食べられる。
日本も本来ならいつでも新鮮なものが食べたい時に食べられる。
だって四季がある。
山も川も海もある。
だったら、本当に旬のものを食べるだけで生きていける。
旬のものとは、その季節に1番美味しいものだ。
だから美味しいものしか食べない。
美味しいと感じるものを食べることが、健康に生きるということ。
日本では夏でも冬野菜を食べる。
冬でも夏野菜を食べる。
本来なら夏に夏野菜や夏の果物を食べると体を冷やして、冬に冬野菜を食べると体を温める。
そして身体を休めることができる。
それはDNAに深く刻み込まれるているから、人類は長生きになっていった。
今は一年中なんでも食べられるようになったけど、そのせいで体内温度計が壊れてるからみんな疲れてるし、病気にもなる。
マサイ族は一日何キロも歩く。
3キロ離れた水汲み場から20リットルの水を持ち帰る。
なのに疲れてない。
そして、病院も薬局もないのに、みんな元気だ。
マサイの食生活は、見方によれば日本人よりも質素な食生活かも知れない。でも、その日に採れた旬のものを一度も冷蔵庫に入れずに食べるから、大地の生命エネルギーが瞬時に入る。
結局何が言いたいかというと、日本で習うビタミンとかミネラルとか栄養学は、必要ない知識とまでは言わないが、ままごとレベルだっていうこと。
そんな知識よりも大事なことは、食べたもののエネルギーが、体を動かして、体の部品を作っているということだ。
だから本当の意味で、《良い食べ物》を食べたら、病気にもかからないし、怪我をしてもすぐ治る。
タンザニアの大地で、自然の中にあるものだけを食べる生活を2週間したら、目も耳も鼻も良くなる。五感が優れる。
暗闇でも見えるし、遠くの動物の足音が聞こえる。
遠くの匂いを嗅ぎ分ける。
それは一緒に行った全員が体験した。
1ヶ月続けると、第六感も研ぎ澄まされる。
そして、その六感は日本に戻っても維持できるだろう。
身体が進化したわけではなく、本来の身体能力を取り戻せたってことだ。
日本の食生活は、食べ物を選べる。
だからこそ、選び方を間違ってはいけない。
本当の意味で、《良い食べ物》を選んだら、この国はもっと健康になると思う。
病院に行く人も9割くらい減るだろう。
そして、身体の余裕ができたら、心の余裕もできて、ずっと豊かに暮らせるだろう。
死ぬ日まで。
島暮らしの自然農で野菜を作っている意味がここに全て書かれていることを記事にしたかったが山納 銀之輔さんがやはりお話ししていたのでご紹介しました。自分や家族だけ食べれる程度なら耕作面積も少なくて済む。