ゆりりん
誰かのためでなく、あなた自身のために。もういらなくなった心の荷物を下ろしましょう。やさしいあなたが、ちょっぴり不器用なままで、100倍しあわせになれますように!!
ふと、自分はこれまでなんのために生きてきたんだろう…と思うことはありませんか? 心の方向性を今一度見直して、元気ハツラツ再出発しましょう。私自身が通ってきた道だからこそ伝えたいことを言葉にしました。
無料で公開しています。 心が折れそうになったとき、読んでみて。 感情は通り過ぎていく風のようなものだから、今どんなにつらい感情を抱えていても、大丈夫! 人間には自分の心を変えていく力があります。あなたの心に、さわやかなやさしい風が届くことを願って、ポエムエッセイを贈ります。
私のnoteを読んでくれて、ありがとう! ゆりりんのことをもう少し知ってもらって、解き放った言葉をより身近に感じてもらえたらうれしいな…と思って、このページを作りました。 noteでは、著書から抜粋したエッセイやポエム、心に浮かんだ文章などをつづっています。もし、あなたの胸に響く言葉を見つけたら、それは響いた瞬間からあなた自身の言葉です。ぜひ ”心の杖”にしてください。 さて、自己紹介。 1954年10月25日生まれ、けっこう長く生きてます!? 血液型は B型、典型ねぇ
親しければ親しいほどケンカをする。ケンカすると、前よりいっそう仲良くなる。と言いますが、、、ケンカするたびに心にヒビが入って距離ができていく、ということはありませんか? ケンカには、ふたつの側面があります。 通常より深いコミュニケーションとしての「有益なケンカ」と、 お互いに傷つけ合って溝を深めるだけの「不要なケンカ」。 もしあなたが、なんにもいいことがないケンカをしてしまうと感じていたら、その理由を考えてみましょう。 家族、パートナー、恋人、友だちと言い争いになったと
別に嫌いなわけじゃないけど、一緒にいるとこっちが疲れちゃう……。 そういうことってありませんか。 もしかしたら、自分がそう思われていることはありませんか。 一生懸命やっているのに、なぜか相手を疲れさせてしまうことがあるとしたら、そのわけは『気を遣う』と『気が利く』のちがいにあります。 『気を遣う』人が動くと、「私いま気を遣っています」という空気をまき散らします。 接待してくれるときも、仕事を手伝ってくれるときも、耳寄りの情報を提供してくれるときもそう。 また、ものすご
ステキな恋をしたい。理想の男性から愛されたい。 そう願っている女性はたくさんいることでしょう。 けれども、なかなかいい人にめぐり会えず、恋愛が結婚に至らないとしたら……。 自分の容姿や性格に魅力がないのかしら、と自信を失くしてしまう人もいるかもしれません。でも本当の原因は、あなたのもっと心の奥に潜んでいる可能性があります。 自覚していなくても、心の奥で「恋愛が恐い」「別に結婚しなくてもいいや」と思っているかもしれないのです。 そんなことはありえないと思いますか? でも
人間は生まれてから死ぬまで〝あらかじめ決まった人生〟を歩いているように思いますか? 私の答えは YES and Noです。 Yesは「宿命」といわれるもの。たとえば、親、家庭環境、身体的特徴や才能、死など。 Noは「運命」といわれるもの。たとえば、社会的成功、健康の度合い、幸福の度合い、出会いなど。 宿命を変えることはできませんが、運命は変えられる、と私は思っています。 運命は「運ばれる命」と書きますが、何によって命は運ばれるのかというと、それは「めぐり会う人々」に
あなたは今、バリバリはたらくことが楽しいですか? どんなに忙しくても、目標に向かってワクワクしながら仕事ができていますか? それとも、、、心のどこかにむなしさを感じて疲れていますか? もしそうだとしたら・・・ワークホリック(仕事依存症)に陥っているかもしれません。 つらくてむなしくても、がんばりつづける理由を心の奥深くに探っていくと、無意識の罪悪感に行き着くことがあります。 自分はかつて親の期待に応えられなかった。まわりの人をがっかりさせた。こんな自分はがむしゃらには
仕事が楽しくない。疲れた。やる気がしない。 そう感じているなら、自分を責めるまえに、自分の気持ちを整理してみましょう。 仕事が楽しくないのは、やりがいを感じられないからでは? 「雑用」ばかりをしていると感じているからではありませんか? だとしたら、少し考えてみたほうがいいかもしれませんね。 私たちの社会生活に「雑用=価値のない仕事」ってあるのでしょうか・・・ 会社の仕事でも、家事でも、私たちがはたらくのはその作業が必要だから。それをだれかがしなくてはならないからですよね
だれかのためを思って一生懸命しているのに、どうしてこんなにつらいの? 何かしてあげたあとで、むなしくてやりきれない気持ちになるのはなぜ? そう感じるのなら、少し立ち止まって考えてみましょう。 「だれかのために何かをしてあげる」ことは、一見美しくても、本当の意味でしあわせではないことがあるのです。 「だれかのために何かをしてあげる」とき、胸の奥に「本当はイヤなんだけど……」という気持ちがありませんか? その気持ちをぐっと抑えて、ガマンやムリをして動いていませんか? 犠牲
『セレンディピティ』という言葉を知っていますか? ワタシ流に訳すと、偶然しあわせ発見力。 たとえば――、 お料理で調味料をまちがえたけど、偶然できた品がめちゃくちゃおいしかった。探しものをしているときに椅子から転げ落ちて、いいものを発見した。とか……。 これはセレンディピティが働いた結果です。 セレンディピティは失敗のあとからやってくる「幸運のひらめき」。 だから、もし失敗した段階ですべてをあきらめてしまえば、そのあとのしあわせは手に入りません。 ノーベル賞を受賞した科
あなたのいちばんの心配は何ですか? 自分の行く末ですか? それは収入? 仕事? 人間関係? 結婚? 離婚? 老い?…… 心配は、ひとつ消えたと思っても際限なく生まれるし、老いや死など、私たちに抗えないものもたくさんあります。 心配のタネは一生なくならないとしたら、心配のタネをなくすのでなく、“心配するクセ” をなくしましょう。 そんなのムリと思わないで。いい方法があります。 まず「今から1時間、いっさい心配しない」を実行します。 心配がはじまったら、「あと30分はこんな
ここは自分の居場所じゃない……。 ここでは自分を生かせない……。 今の生活は、本当の自分じゃない……。 もし、あなたがそう感じていたら、視点を変えてまわりを見直してみましょう。 現実が思い通りにならなくて落胆するのは、だれにでもよくあること。 でも、それで居場所がないと感じてしまっているなら、あなたは『正解主義』に陥っているかもしれません。 「正解はこれだけ。こうあるべき!」という目で人や組織を見ていませんか? すると、意にそぐわないものはすべて不完全に見えて、イライラ
「私の何が悪かったんだろう?」 不本意な出来事や問題にぶつかったとき、思わずこう考えてしまいませんか? 何が悪かったかを考えて、自分のことを責めつづけているうちに、余計に落ち込んでしまう……。 どうしてこんなことが起こるのでしょうか? それは、人間の脳には『ひとつのことを尋ねられるとその答えを探しつづける』という習性があるからなのです。 お昼に入ったカフェで、私は懐かしいメロディを耳にしました。 「あーあ、この曲なんだったっけ?」と思ってもタイトルが出てきません。うーん、
泣いている子どもに「泣くな!」と怒鳴ってしまうお母さん。 泣くなと怒鳴っても余計に泣くだけだって、わかっているのに怒鳴ってしまう、悪循環……。 同じような悪循環が、自分ひとりの心のなかでもしょっちゅう起こっています。 落ち込んでいる自分に「落ち込むな!」と命じたり、悲しんでる自分に「悲しむな!」と突き放そうとしたことはありませんか? そんなことをしたって、心が晴れることはなかったはず。 泣くなと怒鳴られると余計に泣く子どもと同じように、自分で自分を追い込んでますます苦しく
何かをはじめるとき、たとえば年の初め、あなたはいろいろと目標を立てる方ですか? 固い信念のもとにあれやこれや目標を立て、年の暮れに計画倒れに終わった自分をなげいて自己嫌悪。 そして、「来年こそはがんばるぞ!」とまた目標を立てる…。 私は学生時代からこのパターンをくり返してきました。 思い起こせば、小学生のときから日程表とか予定表を作ることが好きでした。時間をかけて作成すると、すでに達成したような気持ちになってしまうところがあったのです。 当時は、未来を「想
子どもたちに、こんな質問をしたことがあります。 「友だちとふたりで遊んでいるとき、お母さんがやってきて『ここにケーキが1つあるから、仲良く食べてね』と言いました。あなたはそれを2つに分けて友だちと一緒に食べました。あとからお母さんが『どうしてケーキを2つに分けて食べたの?』って聞いたら、あなたはなんて答える?」って。 「お母さんがそう言ったから」 「友だちに嫌われたくないから」 「ケーキをあげないと、友だちがかわいそうだから」 こんなさまざまな答えが返ってくるなかで
大切な人を失ったり、夢を踏みにじられたり、心を傷つけられたりと、世の中は多くの悲しみに満ちています。 …なんて言ったら、あなたは残念に思うでしょうか。 でも本来、悲しいという感情は “自然で美しい、生きている証”であって、むしろ喜ばしいもののはずなんです。 もしあなたのなかに、「悲しい感情」=「マイナス感情」という考えがあったら、一度「悲しみ」について考え直してみてはいかがでしょうか。 純粋な悲しみは、やさしさの裏返しです。 たとえば、あなたが心ない人の言葉に