悲しいことは、美しい
大切な人を失ったり、夢を踏みにじられたり、心を傷つけられたりと、世の中は多くの悲しみに満ちています。
…なんて言ったら、あなたは残念に思うでしょうか。
でも本来、悲しいという感情は “自然で美しい、生きている証”であって、むしろ喜ばしいもののはずなんです。
もしあなたのなかに、「悲しい感情」=「マイナス感情」という考えがあったら、一度「悲しみ」について考え直してみてはいかがでしょうか。
純粋な悲しみは、やさしさの裏返しです。
たとえば、あなたが心ない人の言葉に傷ついておもわず涙を流したとしたら、それは自分のために泣いているのです。
自分をあわれに思うやさしさ、それが悲しみです。
大切な人を亡くしたときも同様で、もう会えない、もう触れ合えないと思う自分が悲しいんですね。
ときには、相手の気持ちを推し量って悲しみが増す場合もありますが、私たちは自分が想像できないことについては悲しみを抱くことはできません。
純粋な悲しみとは、あなた自身や他者に対する想像力から生まれたやさしさと言えるのです。
だから、ただただ悲しみに耐えている人の姿は、やさしさにあふれていて美しいと私は思います。
また、純粋な悲しみであれば、時の経過とともに記憶が薄れていき、その悲しみを終わらせることができます。
ところが多くの人たちは、悲しみに抵抗しようとするあまり、悲しみとは違う感情を探しはじめます。
ここに、「悲しい感情」=「マイナス感情」になってしまう理由があります。
たとえば、「私を悲しみに突き落としたあいつが憎い」といった憎悪や、「どうしてあのときああしなかったのか…」といった後悔の念を持ち出して、なんとか悲しみから逃れようとするんですね。
すると、純粋だったはずの悲しみが「苦しみ」に一変してしまいます。
こうして悲しみがいったん「苦しみ」に姿を変えると、抜け出すのに時間がかかるばかりでなく、運気もどんどん下がっていきます。
なせなら、心身から放たれる憎悪や後悔といった「苦」のバイブレーションは、ブーメランのようにグルリとまわって自分の人生に返ってくるから。
それは、自分のまわりから軽やかに前向きに生きている人たちを遠ざけ、代わりに「苦」のバイブレーションに同調するマイナス思考の人たちを引き寄せてきます。 そして運気や将来に影響を及ぼすのです。
悲しいと感じる出来事、それはもう起きてしまったことです。
いっときの悲しみを「苦しみ」に変えないことが、どれほど大切かということを覚えておいてくださいね。
悲しいと感じたら、その感情を全身で抱き止めましょう。
ただ一心に悲しんでください。
悲しんで涙する自分をいとしんでください。
それは、夕日やドラマを見てはらはらと涙をこぼす自分と同じだから。
悲しくて泣くことは、決して悪いことではありません。
心が悲しみに揺れたら、なんにも考えないで(ここがいちばん大事!)、気がすむまでひたすら泣いたらいいんです。
★ 著書『うえを向いて泣こう。』(サンクチュアリ出版)より★