「田中秀男 (2004b) 『直接のレファランス」の『直接の』って?」(JFAニュースレター記事)をウェブ公開

以下の拙論をウェブサイト上でアップロードします。

田中秀男 (2004b). 「直接のレファランス」の「直接の」って?:「レファランス」と「照合」の異同を見定める. The Focuser's Focus: 日本フォーカシング協会ニュースレター, 7(2), 1-6.

このニュースレター記事は、html形式であれば、ずいぶん前に日本フォーカシング協会のウェブサイト上で上げていただいておりました。しかし、刊行当時そのままの公開は今回が初めてです。発行元の日本フォーカシング協会事務局から、「ウェブサイト上での公開は日本人間性心理学会学会誌の著作権規程に準じ、出典を明記すれば許諾手続きは不要」との回答をいただいきましたので。

なお、上記ニュースレター記事 (田中, 2004b)の上に議論を積み上げて、その後、日本人間性心理学会の学会誌に投稿したものが下記の田中 (2018a)です。

田中秀男 (2018a). “この感じ”という直接参照:フォーカシングにおける短い沈黙をめぐって. 人間性心理学研究, 35(2), pp.209-219.

ただし、学会誌の紙面の制約上、田中 (2018a)掲載の際にはカットした文面が田中 (2004b)にはあります。

例えば、次のようなくだりです。

「直接のレファランス」のとき…月のフェルトセンスでもスッポンのフェルトセンスでも、同じ“ここ”という言葉で指すことができます。 (田中, 2004b, p. 3)
こうした言葉がどんなフェルトセンスでも指せるのは、ちょうど、マスターキーがどんな部屋のドアでも開けられるのに似ています。(田中, 2004b, p. 3)

加えて、「3.2 訳語『照合』の経緯」という節 (pp. 5-6)も、田中秀男 (2018a)に再録されていません。この節には、ジェンドリンの言うreferenceの訳語として、村瀬孝雄先生が「照合」という日本語をなぜ取り下げたのか、その経緯を私なりに追跡しています。

そういうわけで、若書きの拙論ながら、今でも自分自身としては思い入れがあるものです。テクニカルライティング的な書き方を、全面的にではないものの積極的に導入したのも、この拙論が初めででした。

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