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「瞑想」の解釈の変化が、「大乗仏教」につながった

ブッダが入滅したあと、その教えを正しく伝えるために、
弟子たちが何度か集まり、その教えの確認をしました。
これを結集けつじゅうといいます。

その確認された事柄は主に二つあって、
ブッダの教えであるスートラと、
生活の規則であるヴィナヤでした。

これらは、摩訶迦葉マハーカッサパを中心として
阿難アナンダをはじめとした
比丘たちによって守られていきました。

 こうして出家集団である「サンガ」は、
在家信者である「優婆塞うばそく優婆夷うばい
の援助の下に運営されていきました。

 これらの内容は、口伝されていくのですが、
一部が経蔵ニカーヤや、律蔵といった「仏典」
として伝えられていきます。
特にニカーヤを漢訳したものが
阿含あごんという名で
中国に伝わっていくことになるのです。

やがてアショーカ王の時代、
これらサンガの中に、意見の相違が生まれてきます。
これらを生むきっかけとなったのが
「破僧の定義」に対する「規制緩和」でした。

破僧というのは「僧団サンガを分裂させる行為のことをいいます。

修行僧は、ブッダの教えをそれぞれに
「瞑想」しながら実践していきますが、
やはり日が経つと「解釈にちがい」が生まれることは、
ごく自然なことでした。

 「自分の解釈」に従う仲間を増やしていくことは、
集団の方針に反する行為になり、
分裂を招く原因になります。
このことを「破僧」といい、ブッダ存命中も
厳しく戒められるべき行為でした。

しかしながら、こういった「方針の違い」は
ブッダ入滅後は、当然現れるもので、
何度も結集して調整したとしても、どうしても生まれてきます。

入滅後100年経った時に行われた
結集けつじゅう」では、
教団規則の解釈をめぐって、保守派である上座部と、
改革派である大衆部に大きく別れました。
このことを「根本分裂」とよんでいます。

このような傾向が生まれると、
「仏教」そのものが崩壊してしまう恐れが出てきます。
そこで考えられたのが、「破僧の定義の緩和」でした。

 ぶっちゃけいうと、たとえ、ちがった考えや解釈を持っていても、
同じ領域内にいて、みなが行う儀式や会議に参加していたならば
「破僧」とは言えない。という定義です。

 これは、「某政党」の「派閥」のようなものかも知れません。
つまり、同じ政党にいるのだけれど、
ちょっと考えややり方がちがうグループが生まれる。
いわゆる「派閥」というものですが、
けっして「党」を壊すというものではない。
という感じの解釈です。

 「倶舎論」という書物に、「破僧」に関わる記述があります。

 「破僧」には2種類あり、一つが「ブッダ」の教えに異を唱え、新たな教義を説くこと。
これを破法輪チャクラベーダという。

もう一つは、儀式を一緒に行わないこと。
これを破羯磨カルマベーダという。
そして、ブッダ入滅のあとは、
後者の破羯磨カルマベーダのみが「破僧」になる。
という内容です。

 ですから、儀式=瞑想に基本を置く。
ことが守られているのであれば、
たとえ見解がちがっていても「破僧」ではない。
という解釈です。

こうして生まれたのが「部派仏教」と呼ばれる流れです。
この始まりが前述した「根本分裂」ですが、
これをうけて、その後300年ほどの間に
20ほどの「部派仏教」が成立したといわれます。

ここでの大きなテーマの違いは何かというと。
おそらくは「瞑想」とはなにか、如何に、何のために行うべきか。
ということであったとあたしの解釈ではそう考えています。

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