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ムダに教養がつくかも知れない不定期な雑学講座の連載(講義中は寝ないこと)~世界宗教の基礎知識2「仏教」をひもとく  第2講 大乗仏教の成立 その2

論理的に正しければ、それはブッダの教えである。

  やがて、部派仏教の中で大きな解釈の変革が起こりました。
今から2000年ほど前の紀元前後に、部派仏教の中から生まれたのが
「大乗仏教」と呼ばれる考え方です。

 この大乗の解釈が、どのように発生したのかは諸説ありますが、
想定されるのは、部派仏教の中で
「昔からの経にはないが、論理的に正しければ、
それはブッダの教えである」

と解釈し、主張する一団が発生したということです。

この論法だと新しく書いた経文が、
ブッダの教えと矛盾しないのなら、
それはブッダの教えとして広めても良い。
という事になります。

これまでになかった新しい考えを、
論理的にはブッダの教えであると
主張するものが増えていったと考えられます。
こうして成立していったのが「大乗仏教」です。

「出家」できない社会情勢で解脱したい

 さらには「出家」しなくとも
「在家」のままでも「悟れる=ブッダになれる」
という新しい解釈が生まれます。

 元々ゴータマ・ブッダは、出家修行者は無職無収入で、
自ら生産せず、他者からの「布施」で
食べ物や日用品を恵んでもらうことを旨としていました。
ですから、出家修行者は「安定した社会」でなくては、
修行そのものが立ちゆかなくなる
のです。

ところがこの時代は、
インドを統一したマウリア朝が滅亡し、
乱世に突入していました。

特に北インドのガンダーラ周辺では、
各地の異民族が乱入し大いに世が乱れていました。
このような時代背景では、
ゴータマ・ブッダがいうように
のんきに「出家生活」などは送れません。

人々は自分を守ることに必死ですから
「お布施」など施す余裕なんかありませんし
サンガや出家者を養うことは不可能になります。

当然ながら、出家せずに在家のまま悟る事はできないものか
という考えが部派仏教の中から生まれていったと推測できます。
この状況は、鎌倉仏教や浄土信仰にも
通じるものがあるかも知れません。

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大乗仏教思想のはじまり、「成仏」という考えかた

この中では、それまでの「出家仏教」が、
修行の末にこの世の最高の境地である「阿羅漢」になり、
ゴータマ・ブッダの考えに近づくというものが本来で、
ブッダ亡き後は自らを島とし、法を島とせよ。と涅槃に入るわけです。

この段階ではブッダはゴータマのみで、
次のブッダである弥勒菩薩マイトレーヤが出現するのは56億7千万年後であるとされ、
「ブッダ」は特別な人しかなれないと考えていました。

 ところが「大乗仏教」では、
ゴータマ・ブッダがそうであったように、
ブッダとは本来は人が悟りを開いてなれるものである。
という考えに変化します。


すなわち「成仏」という発想です。
大乗仏教では、この世には何人ものブッダが存在しており、
誰もが努力すればその一人になることができる。
と考えました。

このことは、出家在家を問わず
誰もがブッダという最高の存在に到達できるという
新しい理想が生まれます。
すなわち、「ブッダ」は人的要素から
理念的要素に変質した
ことになります。

保守的部派が、上座部の「デフォルト仏教」を継承した

 そのうち、保守的な立場の上座部が
スリランカから東南アジアに伝えられました。
彼らはパーリ語の聖典を用いて、
あくまでも「デフォルト」の仏教にこだわったわけです。

スリランカやインドシナ半島の仏教は、
このことから「南伝仏教」とか、
「上座部仏教」と呼ばれています。

 これらの人々は、あくまでも「出家修行」のスタイルを堅持して、
現在に至っています。

 「ブッダ」は唯一無二であって、
自分たちは「ブッダにもっとも近づいた境地(仏弟子)」
である阿羅漢アラハットをめざすというのが基本になります。

ですから、「出家」することが、まずは第一義になるのです。
ですから、あたしたちが考える「大乗仏教」とは
この段階で大きく違いがあるのです。

そのため、同じお釈迦様の姿といえど、
ずいぶんと違った印象には思えますが、
「根本的な教え」は共通であり、
ただアプローチが違う
というのかも知れません。
このことは、一方の「大乗」のサイドでも同じ事が言えます。

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