苦悩の原因について、「大乗仏教」的見地から考えてみた。
三つの「毒」
このごろニュースを聞くのがイヤだ・・。
本当にいいことがない。
下手をすると、意図的に
悪い事ばっかり放送してるんじゃないのかな?
と、そんなことも思ってしまいます。
とみに思うのは、こういった「犯罪」というのは
本当にいつも切れ間なく起こっているんだなぁ・・・。
という実感です。
人は、何でこんなお馬鹿なことを
性懲りもなく繰り返すんだろうかな。
犯罪を犯す原因は、
「むさぼること」
「怒ること」
「無知なこと」
が原因で起こるといわれています。
ブッダはこれを「三毒」としました。
難しく言うと「貪」「瞋」「愚」の三つです。
この三つの要素が心に生まれ(意)、
行動(身)に移してものをむさぼってほしがれば、
盗みや不倫になり、怒りが昂じれば
傷害や殺人を犯す事にもつながる。
それが、たとえ行動にいたらなくても、
そういった心の動きを相手に伝える(口)事をしたら、
両舌、嘘、悪口、へつらいに明け暮れる事になります。
そして、それが無くならないのは、
ものごとの真理に気付けないせい(愚=無明)であるから、
もっとも悪いことだとブッダは示しました。
この話をお坊さんが言えば、
「身口意の三業」という言葉でまとめてくれます。
そして、この三毒にまみれた心の動き(意)のことを
「煩悩」という言葉で表します。
この煩悩の種類は、実に108もあるということですが、
ブッダ自体はそんなことは言っていません、
あとからついた数ですが、
除夜の鐘を108回つくのはこれが由来です。
無明の中にいるから苦悩が絶えない
「無明」というのは、
「全てのものは移り変わり(諸行無常)、
自分の思うとおりになるものなどはなく(一切皆苦)、
私のものは存在しない(諸法無我)」
という真実(三法印)を知らない事をいいます。
つまり、現実から目を背け、
道理を知らないまま
自分中心にものごとを考えている状態を言います。
これは当然道理がないから物事がうまくいかず
欲張ったり、怒ったりすることになるのですね。
たとえば、お金は使えば無くなる=無常、
だけどものを欲しがるのは、無明です。
だから貪る心が生まれ、
思うとおりにならないから怒り、
悩んで「煩悩」にいたるわけです。
その中でお金がないのは事実だから、
それを知って今はいいか~。
という瞬間、欲しがった気持ちがなんでもなくなる。
この一瞬がブッダの言う「さとり」であり、
これもさとったという事すら忘れるような一瞬に消える。
だから、さとりは常にあるけれど、
いつもさとってるわけではない。
これは求めるものではなく、
なぜ自分はこんな迷ってるのかを考えたら、
金は使えば無くなるという事を心底わかってなかった
という事に気付くべきで、
その事実に見合った考え方をすれば
「迷い」はなくなるだけのことなのです。
ですが、このあたりまえになかなか気付かないから
「煩悩」はなくならないのですね。
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