「不安」って何だろう、ということを 性懲りもなく、分析してみたのだ
「不安な心」っていうのは、なんだという素朴な疑問
こんなお話があります。
達磨大師の弟子である慧可が、
なんとしても大師に弟子入りしたく、
自らの腕を切ってその覚悟を示しました。
慧可が教えを請うたのは
「大安心」=揺るぎない心の平安はいかにして得られるのか?
という問いでした。
それに応じ、大師は慧可に公案を与え、
弟子入りを許したといいます。
その公案というのが、
「お前のもっとも不安だという心そのものを、ここに持って参れ」
というものでした。
腕を切り落としてまで追求したい覚悟のある慧可です。
さて、彼はどんな答えを持ってきて、
達磨大師はどのように答えたのか。
気になりますね?
さて、仏教的な事は最後にとっておくことにして、
実は今回のテーマは「この不安の分析」です。
「不安」ってそもそもなんなのだろう
不安が生じるメカニズムは、
その基本になる「自我」があるからなんです。
まぁ、「目覚めた人」なら、
そもそも「自我などはない」と断じてますから、
不安なんてない。
そういう論理になります。
でも、それじゃおもしろくないでしょ?
やっぱり寝ちゃう
→無明にはまる。
じゃあ、せめて、もう一度西洋風に
「不安」のメカニズムを考えてみるのも
いいんじゃないでしょうか。
「相手を知る」何しろこれが不安を断ち切る
一番の処方だとあたしは考えております。
基本的に断言しますと、
「自我」がある限り「不安」は必ずついて回ります。
なぜなら、自我を防衛する心のはたらきが「不安」だからです。
不安の原因はどこにあるんですか・・・むにゅ
「助手はるか」が寝言でつぶやいた
フロイトによると、
自我は無意識の行動様式=欲望(エス)と、外界刺激、
そして、「意識高い」系の超自我との
せめぎ合いの中にいるといわれています。
このバランスが崩れ、
調整不能になったときの「防衛装置」として
「不安な心」が作動するといわれています。
たとえば外界刺激との関係では
「現実的な不安」が起こります。
また、超自我との関係では「良心の不安」、
そして、根源的な意識=エスとの関係であるなら、
「神経症」に陥ってしまうという図式です。
「不安」作戦における防衛アイテム
ですが、人の心は、こう言った不安に対し、
なんとか順応して切り抜け、
心の平安を保とうと
いくつかのアイテムを出しながら、
この不安と戦い、
心の平安をなんとか保っていこうということを、
本能的に選択するのです。
そのアイテムをいくつか紹介いたしましょう。
ホントはかなりの例があるのですが、
全部挙げると、それこそ「意識を失う」
拡大生産をしてしまいそうなので、
とりあえず、代表的なものだけを挙げておきます。
さらに詳しく知りたい方は、
研究室の助手にリクエストしてくれれば、
それぞれの段階のストーリー展開で、
ドラマを演じてくれるはずです。
1 抑圧
不快や不安をもたらす、
受け入れがたい事実を意識から閉め出し、
現実ではないというように
「忘れてしまう」心のはたらきをいいます。
だいたいは、「うそでしょ・・」
って言う言葉から始まります。
はるかクンのおじいさまが亡くなられた際
あなたは頭の中が真っ白になったそうですが、
まさにそれがこれにあたります。
これは、もっとも基本的な自我防衛アイテムです。
2 反動
自我にとって「受け入れがたい本能衝動」を抑えるため、
あえて、本心と逆の行動を取ることをいいます。
得てして、本心と真逆な行動で、
その本心が顕れるのを防ぐ、
心のはたらきによって起こります。
たとえば、小心を隠すために
わざと尊大に振る舞う(ツンデレ)とか、
子どもを本心で愛せない気持ちを
意識化させない自我防衛で、
異常な溺愛行動を示す(モンスターペアレント)
というような行動がそれにあたります。
3 取り入れ、同一化
事実の対象の一部を自分の内的なものに取り入れる。
たとえば「はるか」が求める「両親像」などは、
自分の不安に対抗する「超自我」です。
しかしながら、
最終的に「作られた自分」と感じたのは、さすが助手です。
この気づきが「取り入れ」という段階。
で、それがさらに発展すると「同一化」といって、
より積極的にその対象と同じように考え、
模倣することで、いつしかその不安を
ブロックできる「パーソナリティ」になろうということで、
より積極的な解消のプロセスだといえましょう。
4 投影化
そして、自我を守る防衛隊は次の作戦行動に入ります。
今までの段階は、自我防衛の「専守防衛」で、
自分だけの世界の問題です。
しかし、それだと不十分なのは、
「これって、あたしだけの特殊なものなのかな?」
という新しい不安です。
でも、この感情は他の人にはないんだ。
自分はある意味特別なんだと思うことで、
人との対比による不安から防御します。
「まぁ、この気持ちは他の人にはわからないよね」
と思うことで、自我が他から攻撃されるのを防御するのです。
「あなたと私とは違うんです!」
その昔、国会で答弁した元首相がおりましたが、
こんな感じなのでしょうね。
という形で、「不安」の要素をお示ししてきたのですが、
実は、この不安はマイナスでなく、
むしろ心のはたらきにおいては
「プラス」の燃料になり得る要素でもあるのです。
ま、この話は気が向いたらまた。