生きたモン勝ち 21.6.2
「葬式ごっこ」いじめを取材した番組『事件の涙』を観て――。
当時の同級生たちは、もう50歳になろうとして、もう「いい大人」なのだから、口先だけでも「後悔しています」と言うのかと思ったら、「幸せな家庭を壊すな」「忘れてた」と。
これらのコメントから導かれる事実は、「いじめをした側が、それを後悔することはほぼ無い」。
たとえ、相手を死に追いやったとしても――。
事件当時は「ツッパリ」ブームで、教師生徒に限らず、粗暴な人間がクラスを掌握している「空気」はあった。今は今で、ネット晒しなどの陰湿さはあるだろうけど。
現在僕は51歳で、事件の当事者である彼らとほぼ同い年なのだが、僕はいじめられる側にいた。
今もそうだろうが、悪ふざけといじめの境界線が曖昧なまま、昨日まで仲の良かったはずのクラスメイトが平気な顔で小馬鹿にしてくる。
成績とは別のスクールカーストから落ちこぼれたら最後、クラス替えまでずーっと、馬鹿にされ続けることとなる。
それはただただ滑稽なマウントの取り合いなのだが、全員がそうであると、集団心理と同調圧力で、リアルデスゲームと化す。
ただ、運悪く(そう、運が悪いだけなのだ)いじめの被害者になったとしても、まぁまぁ生き抜いたほうがいいね。逃げるは恥じゃないし(後から)役に立つ。生きたモン勝ち。
誰に何を言われても、何度でも繰り返すけど「死ぬべきじゃない」。ここ大事ね。
生きていれば、なんとかなる。ならないかもしれないけれど、生きていられるだけで充分。
51歳にして思うことは、人生いろいろあったしこれからもいろいろあるんだろうけど、長く生きることによって、いじめ期間が遠ざかっていき、平穏な部分も増えていく。そうなると「薄まっていく」というのかな……。ほんの少しだけど。
僕の場合、生きてきたからこそ、面白いドラマを観られたり、おいしいものを食べられたり、こうして拙文をみなさんに観ていただいている。嫌だったらこうやって毎日書かない。
生きていればこそ。
断崖絶壁おじさんの教え。