欲しいか欲しくないかで言えば 22.2.8
こんな事ってあるのだろうか。
石原氏の追悼原稿を書き上げた数日後、まさか自身が追悼される側になるとは……。
「お前ごときが語るな」という声がどこからか聞こえてきそうなので、文学面でのコメントははなから避ける。
ヴィジュアル的に目を引くものがあったので、芥川賞を受賞された当時から西村氏には注目していた。いわゆる「にわか」である。
小説及びエッセイも何冊か拝読したことがあるが、正直なところ「面倒そうな人」という印象が強く残った。(←特大ブーメランの自覚はある)
ただ、ゴールデンタイムのテレビ出演時には辛辣な悪態をつくことは少なかった。たとえば、出演者が講師として母校の小学校を訪れる『課外授業ようこそ先輩』では、「“ダメな自分”を書いてみよう」と題し、温厚な「先輩」として子供たちに接していた。
ひとつ引っ掛かっているのが、ツイッター上における自身のなりすましについて、「何が楽しくて、金に換わらぬ無料サービスの文章を書く必要があろうか」と発言している点。
それこそ僕は、毎日金にもならぬ駄文を書き続けている。
もちろん金になるに越したことはないが、何者でもない無名人の文章を現金化することは極めて難しい。なんならブログで毎回毎回最後に、サポートのお願いをしているものの、拍手やいいねは時々いただくものの、お金をいただいたことは一切ない。
だが書かないでいると体がおかしくなってしまうので、リスクとメリットのバランスを考え、書き続けているだけの話である。
亡くなった原因は新聞記事によれば心停止とある。僕より二歳年上。文章力を筆頭に、僕が手に入れられなかったものを全て手に入れられた。
いまだ何者でもないがぼちぼち生きている自分と、どちらが幸せなのだろう。
いや、幸せかどうかは他人が判断することではないな。
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