情熱かましてよかですか?ーありがとう、2024年ー
大晦日です。
今年も残り僅かとなりました。
ざっと一年を振り返りますと、
1〜3月までは資料を漁りながらノートに記録しつつ、作画。
「ブルーランプ」が脱稿。
資料ノートを精力的に取りつつ、
プロットやキャラクター表。
4月は持ち込みするも、
なかなか気力が上がらずズルズル。。。。
引き続き資料を漁り続ける。
7月にコロナに罹患し、後遺症に悩まされ、
(これ、ほんましんどかった。コロナより長引いたよ。。。)
10月に、もう商業誌じゃない‼️
自分が描きたい作品を時間を気にせず描きたい‼️
という境地にやっと至る。(アンタ、結構ワガママやな。。。)😅
何十年もの商業誌への執着心があったので、それが放たれ
10月〜12月まで気が抜けたように眠りに眠る。
12月に入り、再び資料ノート取りを再開。
。。。。という表面では見えないところで自身の人生において超大変化の一年でした。
過去最大の断捨離やね。
5歳から思い描いていた道を捨てるからね。
商業誌<フリーランス
という境地に全く後悔なく入った年でした。
もう組織や団体に所属することもありませんし、応募することもないです。
全く未練はありません。
名誉や賞与、勲章にも興味がもともとないことも内観を通して実感しました。
ただ描きたい作品に向かってひたすら熱中して挑み続けることが最も幸せな境地だということを痛感しました。
その瞬間、毎日が最もありがたいことだと。
私が、勝ちたいと思う相手は
いつまでも踏みとどまってモヤモヤしている自分自身であると痛感しています。
ずっと描き続けたいので、独立の道を選んだという気持ちです。
これは個人が発信できるようになった今という時代の恩恵もあると思います。
今まで、漫画家として、一番運が良くない時期にデビューしたな。。。と思っていました。
まさに投稿期間中は、世の中の少女誌や女性誌はセックスをあからさまに描く世相となり、ホストやギャル全盛期。
マンガ仲間たちと「こんなの描きたくない、面白くもない」と嫌悪感を示していたのを思い出します。
デビューした時期は出版業界が斜陽化し、コミックスが出た時期はリーマンショック。
その後も商業誌の求める世界と、自分が描きたい世界の乖離を常に抱いていました。
けれど、これは時効なので言えるのですが、ある恩人の紹介で担当さんがついたこともあり、そのご恩を返さねばとは思っていました。
商業の世界で切磋琢磨できることは、非常に勉強になり、商業誌だからこそ技術がフリーの時よりも格段に上がったことは言うまでもありません。
30歳の時に結婚した時、コミックスが出ても全く嬉しさを感じず、自分がいる世界はここではないな。。。という芽生えはありました。
一度離れようと思っていたのですが、踏ん切りがつかず、ここまでズルズルときてしまいました。
この頃はまだYouTubeも認知度は低く、個人の活躍の場、というものはTwitterくらいでしょうか。
その頃から宮沢賢治について作り始め、少しづつ自分の描きたいものが掴みかけてきていました。
戦時中のお話も未熟ながら作ることができ、自由にやらせていただいた雑誌様には頭が上がりません。
そして
もう組織という世界でやるには、自分の性分があまりにも尖りすぎている、譲れないテーマがある、と言うことが昨年やっとわかりました。
やっと、いい時代に生まれたな、と思えたことは、
個人で発信出来る時代になれたことです。
わざわざデビュー作品を数年かけて描いて、デビューしても数年かけてダメ出しの下積みをし、連載を持っても売れなければそこで終わり。。。という人生双六にエネルギーも労力も若さも時間も振り回されることが漫画家の時代ではなくなった。(経験談)
多くの人は命を削って作っているけれど。。。その間収入ゼロ。
今の出版形態では、先が細くなってゆくだろうな。。。
作家も育てるのではなく、摘んでおしまいサヨウナラが普通になるな。。。
と思っていたので、軽薄な関係に振り回されるのはごめんやな、と思っていました。
私のうつ病も商業誌による職業病。。。という原因が大きいので、精神的にも自由になった方が長生き出来ると思っています。
(ちなみに自分は、双極性ではなく、うつの方です。常に低空飛行です。)
個人で利益をうむ時代になったことは、日本のマンガの質が下がる、と言われておりますが、作家にとっては多くの人に読まれる事と、長く描き続けたいのと、収入が入れば嬉しいので、そうなるのは時代の流れかもしれません。
(商業で学んだ技術はブラッシュアップしてゆきたいですが。。。)
キラキラしながら組織に利益をもたらし、編集さんが出世するために頑張ります‼️
と言うようなフレッシュさはなくなり、
自分の情熱のままに描こう、
という元来のアーティスト気質の生き方を
折り返し地点の残りの人生で選び取りました。
年をとって、言いたいことややりたいことがより明確にわかりました。
商業を経験して、全然自分に合ってなかった、ということもあるのですが。。。
こういう人間は独立してやるのが一番いいのです。
多分わたしは、ものすごくアーティスト気質で、
描きたいテーマが明確にあり、
人にあれこれ指図されるのが嫌い、
作品は自分で責任を持って全てを作り込んでゆきたい、
超マイペースな社会不適合人間タイプであることを認めようと。
そういう人間は、一匹狼で産直販売でやってゆくしかないぞ、と。
ただ、編集さんという存在は大切で、不要論が世間であがっていますが、
編集という仕事は作品をプロの目から客観視する非常に必要な存在かと思います。
ですので、今後は作品作りに悩んだときは、最近よくネームや作品をマンガのプロがみて数時間どうすればいいものになるのか教えてくれるサービスがあるので、悩んだときはそのサービスを利用しようと思います。
過去を振り返っても、編集さんのアドバイスって少しだけの方がブラッシュアップがうまくゆき、丁寧に見て貰えても自分好みの作風にしようとした編集さんとは合わなかった経験があります。
だったらフリーのその場限りの編集さんにお金を払って、数時間ネームを見てもらう時間だけで十分やな、とこれも自力制作への決め手になりました。
1人でやる、と言うことは、商業誌の時以上に自己管理とストイックさが必要になると思います。
編集さんに相談できるものがなくなり、締め切りもなくなり、刺激し合える競合相手もおらず。。。。
なので、だらけようと思えばいくらでもだらけられる。
何より、お金は自分で稼ぎ出さねばならない。
本当にストイックに自分を管理してコツコツ積み上げてゆかねば破滅すると思っています。
だからこそ、その独立の世界に飛び込みたいと思っています。
最初の数年は文字通りコツコツと忍耐強く描き続け発表し続けてゆくのみ。
お金も身入りは僅かでしょうが、趣味ではないので続けてゆくことが大事だと思っています。
ですので、来年は仕事をまず第一に頑張ってゆこうと思っています。
「政とイチ」を描いていた時もフリーでしたが、あれはやっぱり、無料作品ということもあって「仕事」というモチベーションでは全くなかったんですよね。
来年は、作る作品は全て有料にしようと思います。
そして来年のnoteは、いっそう正直に、情熱のままに媚びへつらいなく綴る
日記になるでしょう。。。
独立するいいことは、とことん自分作品やマンガのことについて語れることかと思うので。。。。
(商業だと、口チャックなんよ。。。それが嫌で嫌で。
喋らせろおおおお‼️と思っていたので。やっと本心がいえるわあ、と。
あと、本やマンガをTSUTAYAで買った、と堂々と明記できます😂)
もうタブーや縛るものはない。
その分ストイックに挑みたい。
そんな来年への闘いのスタートを前に、今年はリセットと小休止の年だったんだな、と振り返ってみると思います😊
紙ものや郵趣の世界が広がり、ポストクロッシングやユナイテッド、文通と。。。思い切り自分の好きなことができた、
ある意味バカンス😂のようなハッピーな一年でもあったかと思います。
嵐の外に出る旅の早朝。
暖炉で暖を取りながらペンションの住人とココアを飲みつつ語り合う。。。
そんな一年でした。
今は例年以上に、清々しい心でいっぱいです。
これも、noteや手紙を通してあたたかくお付き合いくださった皆様のおかげでございます‼️
本当に‼️心より感謝申し上げます‼️
本年度は大変お世話になりました。
皆様が穏やかであたたかい年末と、清々しい年明けを迎えられますように!!
🌇🌅