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心をホッとさせた20年前の友の言葉。
20年ほど前、初めてコミティアで同人誌を出したのがやはり暑い夏の日だった。
お金がないのでコピー本だった。
2巻出品して、80ページほどあったと思う。
初めてのイベントで、制作スケジュールや製本作業がギリギリでてんてこ舞いだった。
朦朧としていたとき、Nさんがトーンを貼りに手伝いに来てくれた。
Nさんは大学一年の時に本屋さんでバイトをしていたときに仲良くしてもらっていた同い年の女性だった。
真面目で優しく、会話のテンポも合い冗談を言い合えた。
非常にきちんとしていて、常に一歩引いて物事に相対するという落ち着きがあり、仕事が一番出来た人だったと思う。
マンガスクールに通うため、私は一年後にバイトを辞めたのだが、その後5、6年ほどNさんとの文通が続いた。
Nさんから届く手紙は、必ず水色のラインが入った、清潔感のある白いレターだった。
ポストにお決まりの白い封筒を見つけると、わーい、Nさんだ〜とほっこりした。
同人誌がイベントに間に合わなくてちょい大変。。。と言ったらわざわざあばら屋まで手伝いに来てくれたのだった。
うううう。。。間に合わんよ〜と苦悶する私に、Nさんが放った言葉は今でも忘れられない。
「森川さん、マンガはね、線さえ描いてればいいんだよ、それでわかるよ‼️」
せ。。。。線さえ。。。。。
トーンやら柄やら背景やらを考えあぐねていた私は、その言葉に静止した。
線だけでええんや。。。。
トーンもシワも、面倒な背景もフラッシュもぜーんぶやらなくていい。
線だけ。。。。
なんとも後光がさすような言葉ではないか。。。。
当時から私は描き込みすぎる癖があり、それが遅滞の大きな原因だった。
ぶっちゃけその通りで、線さえ入っていれば、人は読める。
むしろ過剰な装飾は、読む側にプレッシャーを与える時がある。
しかしNさんはマンガなど描いていない人である。
一体どうしてそんな核心を放つことが出来るのか。。。(゚o゚;;
Nさんは私の拙い原稿をみて、すごい丁寧に描いてるんだね、でも、人差し指サイズの人物の描き方は練習してもいいかもしれないね、などと、まるで編集者のようなことを全く嫌味なく的確に言ってくれた。
(今でも人差し指や小指サイズの人物を描くのが苦手である)
Nさんは粘ってベタやトーンを貼ってくれた。
御礼などもろくに渡せず、心苦しかった。
その後、Nさんがナルトとハガレンのオタ女子であることを知ったのだった。
Nさんから布教と称してハガレンの既刊全てをおくりつけられた衝撃は忘れまい。。。
Nさんとの親交はじわじわとフェードアウトしてしまったが、その後も漫画の修羅場に立った時、
「マンガはね、線さえ描いてればいいんだよ」
というパワーワードが頭をよぎった。
初代担当さんからも、
「森川さん、トーンとか貼らなくていいんじゃないかな、線だけでみせても。」
と言われたことがあり、他の担当さんからも、
「もっと抜くこと考えた方がいいよ。」
と注意された。
その度にNさんの的確さを思い出した。
しかし「抜く」ことは技術あってこそだと私はずっと思っていた。
自分のようなヘタな絵だと、抜いたら目もあてられないものになる。。。
マンガの修羅場は、最後は省略作業になる。
背景を入れようと思っていたけれど、そんな時間はないからベタとか、
コピーして切り貼りしようとか、とにかく抜いてでも、情報さえ入っていればいい、間に合わせるんだ、という感じになる。
畢竟マンガは図形による情報の集合なのだけど、期日に近づくに従って、より純粋にその言葉通りの、ある意味遊びがない、作家にとってはつまらぬことをせざるを得ない状況になる。
私は省略や抜くことがひどく苦手で、最後の最後まで手を抜かずにやってしまっていたのだが、それでいい結果になったことは一度もなかった。
期日内で手を抜かずにやれたら最高にいいのだが、大抵は時間の自転車操業で手を抜かねば間に合わない。
むしろ手を抜いた方が功を奏すことも多い。
「風の谷のナウシカ」で、火の七日間の王蟲の群れのシーンが、スケジュールに間に合わないので、苦渋の決断でシルエットにした、という逸話は有名である。
監督からしたら、うごうごと炎の中蠢く王蟲の微細な動きを手描きで作りたかったのだろうが、観る側からしたら、あのシルエットと赤い目玉だけで不気味さは充分伝わる。
いや、むしろシルエットの方が。。。。(以下省略)
痛い目に遭い続け、少しづつ少しづつ学び、省略の「訓練」をしている。
本当は描き込みたい。
けれど、それをグッと堪えてフラットに考える。
抜いてもいいポイントは、あくまで自分だけに当てはまるのだが、
「この絵やコマはなんとしても描きたい」
といち早く手がけるものは丁寧に作った方がいいもの。
一方で、めんどくさいな。。。。と後回しにし続けているものが潜在的に
抜いても問題ないと感じている。
(例外があって、単純に「資料が見つからず、絵がわからない」という理由もある)
そして今、やはりめんどくさい背景やらトーンやらを前に、
「。。。。これって必要かなあ❓コピーしてもいいんじゃないかなあ。。。」
と、なんとか省略できないか、苦悶している。
いっそ線だけでいいんじゃね❓
と、いつも思う。
描き込み魔の性分が少しある自分に向けて、もう1人のもっと風通しのいい自分がアンチテーゼを唱える。
その心のもう一つの窓を開けてくれたのは、Nさんだった。
今私は、その「省略」という作業をやっと、やっと楽しもうとしている段階にある。
ピアズリーのような天才的センス&画力を持っていたら、装飾なんてほぼベタにするのになあ。。。と、ふは、と力なく笑う。
無邪気に冗談をいい笑い合っていた時代から、随分経ってしまった。
Nさんは今元気だろうか。