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カラダって動いているのが自然なんです。

カラダが自分の意思とは関係なく震えている。

それを病気、異常とみなすと

治さなきゃいけないものになってしまったりする。

他人の視線が気になってくれば

見られたくないもの、従って隠したいものになってしまう。

持っていたい視点は

何がしたくてカラダは震えているのか?


整体操法の基本の型は正座。

目の前にうつ伏せになっていただいて、その背中に両手を当てて気を通していく。

当然、術者の姿勢は前傾になる。

正座で前傾して、両手を前に出して背中に当てる。

目の前の人の背中に自分の体重が乗らないような触れ方で愉気をしていく。

野口整体を学び始めた当初は、この姿勢がきつかった。

5分もしてくると腰が痛くなって、手が震えてくる。

周りの視線も気になってしまう。

30分もやらされた時などは

周りの視線も気に出来ないほどに辛かった。

もう隠しようがないくらい震えてしまっていた。


当時のぼくの在り方にとっては無理があったってこと。

だからカラダが悲鳴をあげて震えてしまった。

硬張っていたカラダにしてみれば自然な反応だった。


役者のレッスンを受けていたとき。

アクロバットのレッスンがあって

その授業の先生はウクライナの体操ナショナルチームの元コーチの方だった。


カラダの硬い人を教えたのが初めて?だったのか

開脚の柔軟体操では怖いくらいの力で背中を押してくる。

すると、ぼくを含めてカラダが硬い連中はみんな痛くて悲鳴が出てしまう。

不思議なことには限界がくるとみんな悲鳴が笑いになってしまうの。

カラダを震わせて壊れないようにしようと

カラダが勝手に笑いだす。


極端な状況に陥ったことで

カラダは壊れないようにと勝手に震えだす。

他人の目も気にならないほどの痛みの影響でカラダが勝手に動き出した

分かりやすい経験だった。


カラダはいつでも、どこでも勝手に動いている。

勝手に動いていなかったら、死んでる。

心臓の鼓動は死を迎えるまで打ち続けているし

体液、血液の循環は一瞬たりとも生きている限りは止まらない。

人間のカラダの70%が水。

皮膚の皮、一枚の下では水が循環し続けている。

循環しなければ淀み腐ってしまう。

だから重心の位置を測定する機器でぼくらを計測すると

重心は常に揺らいでいる。

動いていないつもりで直立で立っていたとしても

重心の位置は揺らぎ続ける。

中身の水が循環を止めていないんだから、そりゃそうだよね。



ぼくらは社会生活を営むために動かないことを身につけてしまった社会動物。

整列、前へならへ、満員電車の中、授業中や業務中などなど。

カラダが勝手に動いちゃうことを異常視できるほどに

動かないでいることに適応してしまっている。


カラダが動きたいように勝手動き出す

無意識運動の訓練である活元運動。

活元運動が出やすい条件として頭がポカーンとしている状態がある。


整体指導で愉気をしているとき

受け手が寝息を立て始めたとたんに

カラダが勝手に動き出すことはよくある風景。


カラダが勝手に動き出さないように支配していた自我意識が

寝落ちして、支配が解かれた瞬間に

カラダがもぞもぞと勝手に動き出す。

指が震えだす、掌心発現などはしょっちゅう。

動かないように邪魔をしているのが「わたし」という自我意識なの。

カラダにとっては動いていることの方が自然。

だって体内ではいつだって循環が行われているのだから。



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