本物の活元運動と出逢えますように。
頭をポカーンとさせて
カラダの力を抜くと
カラダ自身が動きたいように
すなわちカラダ自身が調整したいように勝手に動き出す。
それが活元運動。
昔は、というか今でも未体験の人からは不思議だと見なされてしまう。
そんな活元運動の戦前の呼び名は霊動法だった。
カラダが勝手に動くなんて奇妙、霊妙な働きだと。
無知な時代には見なされていた。
ところがぼくたちのカラダは
カラダ自身が勝手に動いて運営してくれていなかったら
そもそも一瞬たりとも生きていられない代物。
100%無意識運動が運営している物体がカラダなの。
自分のカラダを眺めてみるといい。
観察してみるといい。
「わたし」が動かしているものなど、ほぼ無いことに気づく。
皮膚下に流れている血液の脈動。
心臓の鼓動。
勝手に出入りしている息づかい。
入ってきた空気から酸素を取り込む働きだって「わたし」は関与していない。
外の世界を脳内で映像として認識できるのだって「わたし」は1%だって関与していない。
カラダが自ずから行ってくれている働き。
いのちの働きには「わたし」という自我意識は全く関与していない。
自分が行っている活元運動が、なんとなく自分が動かしてしまっている運動のような気がしてしまって。
いちど、ちゃんと教えていただけないでしょうかと訪ねて来られた。
自分が行っている活元運動が本当の無意識運動なのか?
それとも自分が動かしている意識運動なんじゃないか?
この疑いは、衝動的に動かされるような活元運動を体験するまでは払拭できない。
活元運動を行っている人の誰しもが通る道でもある。
活元運動の最中には彼女は動かしたいカラダの部位に意識を集めているんだそう。
意識を集めると運動が大きくなっていく。
それ自体はテクニックとしては在りではある。
実際にカラダの脱力を体験してもらうと
仰向けの状態で彼女の左腕が勝手に動き出していたので
活元運動は出ていた。
活元運動が出だすと、例によって彼女は動き出した左腕に意識を集めていた。
止まれ!
これをやってしまっている人は大勢いる。
確かにカラダは勝手に動き出しているので面白い。
活元運動中に動かしたい部位に意識を集中させることの最大の問題は
活元運動中に本当にはポカーンとしていないことにある。
このやり方で活元運動をしていると
一生、本物の活元運動が出てくることはない。
ぼくは湧きおこる衝動によって全身が突き動かされるような活元運動をあえて本物の活元運動と呼んでいる。
突き動かされるような衝動によって動いているときに
○○に意識を集めようなんて計算など全くできない。
そんな自我意識は吹っ飛んでしまっている。
大あくびが出てきたときって
抗えないでしょ?
大あくびが出てくる衝動に全身が津波のように持っていかれちゃうでしょ。
臍の下、女性なら子宮の位置から
全身が波打つように連動して口が大きく開け放たれてしまう。
口が最大に開いたときに、顎が震えて、唇だって人前では絶対見せないようなフォルムに歪んじゃう。
大あくびは一瞬の体験ではあるけれど
ぼくらが一番身近に体験できる本物の活元運動です。
大あくびのとき
カラダから湧き起こる衝動に突き動かされているときは思考はいじれない。
脳内で言葉をいじれないの。
自動思考が自然と静まってしまう。
衝動が湧き起こっている時って、カラダの体感がものすごく濃くなる。
「感じる」在り方になってしまうので「考える」在り方では居られないわけ。
カラダは本来、勝手に動いているもの。
だから意識を動かしたい部位に集中させて活元運動もできてしまう。
ところが常に意識が動いていてポカーンが無いものだから
突き動かされるような本物の活元運動が出てこなくなってしまう。
一番身近に体験できる大あくび。
衝動に突き動かされる大あくび。
だからこそ大あくびが本物の活元運動と出逢えるためにお勧めなんです。
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