見出し画像

突如、あふれ出した涙。

整体指導の場では愉気を受けている方々が

突如として号泣されたり、泣きだされる様を幾度となく目撃してきた。

まさか自分の人生においても同じことが起こるだなんて予想だにしていなかった。

それは突然の出来事だった。


ブログをいったん休止する旨の記事を書いたあとに

自宅に現金書留が送られてきた。

記事を読んだ親友からだった。


ぼくの人生史上、最大の名言を放ったひと。

日比さんが女だったら結婚したかったって。


友人の気持ちが嬉しくって

お礼を伝えようとすぐに電話をした。

たぶんお昼休憩中だったと思うんだけど電話に出てくれた彼の声を聞いたら

突如として涙が込み上げてきて

お礼を伝えようとするんだけど

震えて声にならなくなってしまった。


白内障の手術を受けることの不安はもちろん認識していたつもりだった。

けれども自覚していた以上に不安を感じていたことを

とめどなく溢れてくる涙はぼくに教えてくれていた。


以前、お世話になっていた先生が

カラダにメスを入れると愉気が効かなくなると発言して

開腹手術を受けた仲間がショックを受けたのを目の当たりに見ていた。


整体指導者としてのぼくの長所と指摘されてきたのが愉気の能力だった。

加えて野口先生、師匠の田総先生と同じように

気が閊えた処が黒く見える能力を授かった。

師匠の下に通っていた指導者30人の中で、その能力が開花したのはぼくだけだった。


カラダにメスを入れる。

しかも眼球の水晶体を人工レンズに置き換える手術。

培ってきたぼくの長所の能力である愉気や特殊視力が手術後どうなるかは全く分からない。


そして目はぼくがよく褒められる身体部位。

50才を過ぎた今でも、先生の目って綺麗ですねって声をかけてもらっていた身体だった。

よく褒めてもらっていたせいで自分でも綺麗な瞳だなあって眺めていた。




白内障の手術は年間150万人もの人が受けている。

手術の中ではありふれた手術なんだけど

そういった個人的な事情が重なっていたために

ぼくにとっては心理的な負荷が高い手術だった。


気丈には振舞っていたんだけど

カラダはやっぱり正直だよね。


最近は右目では相手の顔が分からなくなってきた。

映像の解像度が著しく低下してきているので

右目では対象に焦点を結べない。

そのせいで右目だけが正面を向かず外斜視になってきた。

ぼくの顔を見慣れた方が、ぼくの顔を見ると

一瞬、おやっ?とされる表情を見かけるようになってきた。


カラダが教えてくれた本音の感情を味わいながら

手術後のことは運命に任せて

今しか体験できない日々を過ごしていこうと思います。









いいなと思ったら応援しよう!