進めば、道が開けるよ
これまでの人生で、皆さんは、誰かに言葉を贈った経験はあるでしょうか。
例えば、悩んでいる友達に。
あるいは、悲しみに暮れている家族に。
もしくは、新しいことに挑戦する親友に。
……私は、見知らぬ人に言葉を贈ったことがあります。
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大学1年の夏、私は、オープンキャンパスのボランティアスタッフとして活動していました。
もともと人前に立つことが苦手な私は、普段の何倍もの人で埋まったキャンパスのメインストリートで、うまく声を掛けることもできず、沢山の人に面食らって立ちすくんでいました。
そんな時、誰かに声をかけられました。
「あの……、ちょっといいですか。ここの学生さんですよね」
「はい」と言って振り返ると、そこには男の子が立っていました。手にはオープンキャンパスの袋を持っていて、大学を見学しに来た高校生だと、一目で分かりました。
道にでも迷ったのだろうと思い、頭の中で「〇号館は向こうで、〇号館ならあっち……」と地図を思い浮かべる私に、彼は思いもかけないことを、頼んできました。
「もうそろそろ志望校決めなきゃいけないんですけど、全然決まらなくて。それで今、色んな大学のオープンキャンパス回って、このノートにメッセージ集めてるんです。ここに何か書いていただけませんか?」
そう言って差し出されたのは、一冊のスケッチブックでした。
詳しく聞くと、勉強を頑張るためのモチベーションと学校決めのために、オープンキャンパスを回って、大学生からのメッセージを集めているということのようでした。
せっかく声をかけてくれたのだからと引き受けたのですが、これから私が書く言葉次第で、彼の未来が変わってしまうかもしれないのでは……? と私は少し怖くなりました。
これは、なかなかの大役です。
しかも、困ったことに、何も浮かばないのです。
かといって、「頑張れ」みたいな、当たり障りのない言葉を書くことだけは避けたいと思いました。
私もなかなか志望校を決められなくて悩んだので、彼の焦る気持ちは、痛いほど分かるのです。だからこそ、何か意味のある言葉を贈りたいと思いました。
でも、そんな過去の私に、今の彼に、どんな言葉を贈ってあげればいいのか、皆目分かりません。
「言葉よ、降りてこい」と、この時ほど祈ったことはありません。でも、どんなに強く祈っても効果はありません。やっぱり、「頑張れ」って書くしかないのでしょうか。
頭をフル回転させながら、私は、ペンを握りました。
その時、ありがたいことに、すぅっと言葉が降りてきました。
私は、すがるようにその言葉を書きました。
シンプルで短い言葉でしたが、書き終わった時、これでいい、という感覚があったのを今でも覚えています。
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彼が、その後、どんな道に進んだのか、私には知る由もありません。
でも、あの時、私に声を掛けてくれたことに、感謝しています。
なぜなら、あの言葉は、その後の私にとって、何かを決める際の大きな指針の1つになったからです。
自分にとって初めてのことに挑戦する時。
誰もやったことが無いことに挑戦する時。
進めば、道が開ける。
道が見えなくても、進んでみよう。
そうすれば、道が開けてくるはずだから。
そう、自分を奮い立たせたことが何度もありました。
「私にはできません」と言いたくなった時。
どの道を選んだらいいか分からなくて立ち止りそうになった時。
見知らぬ人に贈ったはずの言葉に、自分が何度も助けられたのです。
まるで、私の方が、この言葉を贈られたみたいに。
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私は、noteにはそんな言葉が溢れていると感じています。
noteで何かを発信している人の中には、一生懸命に言葉を探して、大切なその言葉を、自分に似た誰かのために発しているというタイプの人がいると思います。
私は、誰かのために発した言葉こそ、その人を形づくり、その人を勇気づけ、その人を導いてくれるのではないかと思うのです。
きっと、noteで誰かのために発せられた言葉は、それを発した人の心の中で、もっともっと強く輝き続けるんじゃないでしょうか。
もちろん、それが誰かの心の中のコンパスの一部になることだってあるでしょう。
だから、私はnoteが好きなのです。
言葉が好きなのです。
けれど、noteで誰かに言葉を贈ることは、時に、読まれないことから、無力感を覚えることだってあるかもしれません。
私は以前、「私のnoteの続け方」という記事で、数字を気にしないことをルールにしていると書きました。実際、ダッシュボードは基本的に見ませんし、スキの数もできるだけ見ないようにしています。
でも、数字が気になってしまう時はあります。
なかなか読まれなくて不安になることも、ちょっと肩を落とすことも、正直に言うと、あります。
多分、そういう人は、少なくないでしょう。
でも、だからといって言葉を発するのをためらってほしくないな、と思います。
なぜなら、
あなたが書いた記事は、
あなたが公開した文章は、
あなたが誰かに贈ろうとした言葉は、
あなた自身を支えてくれるはずだからです。
私は、これからも、そんな、自分のための言葉であり、誰かのためでもある言葉を書いていきたいなぁと思います。
その始まりが、あの夏の、オープンキャンパスでの言葉を贈った経験であることも、忘れたくはありません。
なぜなら、「進めば、道が開ける」というのは、実は、noteを始めた時も、今も、頭の片隅で私を応援し続けてくれている言葉だからです。
こうして記事を書いて、投稿するのは、毎回ゼロからのスタートのように私には感じられます。
私が何を考えていたとしても、それを言葉にして、書いて、投稿するまで誰の目にも触れず、誰の心にも届きません。
でも、もし、私が一歩でも進んだら。
記事を書いたら。
思い切って公開したら。
……その時初めて、道が開けるのです。誰かに届くのです。
今週は何人の人が読んでくれますよ、○○さんが楽しんで読んでくれますよ、なんて未来のことは誰も教えてくれません。私が行動するまで、どんな未来も存在しないのです。
だからこそ、「進めば道が開ける」精神を忘れず、言葉を贈り続けていこうと思うのです。
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