令和5年あめ市レポート
新型コロナの影響で中止となっていた松本あめ市が、3年ぶりに開催となりました。
1月8日(日)には市街地中心部が歩行者天国になり、恒例の七福神の時代行列や塩取り合戦(綱引き)も実施され、昨年とは比べ物にならないくらいの多くの人出がありました。
飴の販売
イベントの名前にもなっている飴も色んな場所で販売されていました。
松本あめ市の中心となる牛つなぎ石横、信毎メディアガーデン前、中町の蔵シック館前にテントが立ち、老舗飴店の山屋御飴所、飯田屋飴店、新橋屋飴店、3店の飴が売り出されていました。
縁起物としての飴については記事を改めますが、個人的に今年の推しの飴(笑)をご紹介します。
「松本の白い雪」
こちらは、四賀の棚田風景を守る会と松本大学の学生さんが作ったもち米を、山屋御飴所で飴にしたものです。素朴で優しい美味しさです。
だるまの販売
信毎メディアガーデン前の特設テントにて、地元の子ども会による福だるまの販売がありました。
「だるまいかがですかぁ〜」という元気な声が聞かれました。
だるまの置き場がないので買いませんでしたが、子どもの一生懸命な姿を見ると、財布を出してしまいそう(笑)
時代行列
松本あめ市の時代行列は、七福神などが飴を配りながら街なかを練り歩きます。
にぎやかに演奏する太鼓や笛を先頭に、四神(玄武、白虎、青龍、朱雀)の幟、お多福のお面の神輿、天狗の装いの猿田彦大神、七福神、殿が宝船という行列です。
この行列は、江戸時代後半にあめ市の市神を遷座する様子を描いた『市神祭之図』にある行列によく似ています。まさに、あめ市の時代行列にふさわしい行列になっています。
塩取り合戦
塩取り合戦は上杉軍と武田軍に分かれての綱引きです。
松本あめ市の縁起として、塩止めに困った武田領に敵である上杉謙信が塩を送ったこと、「敵に塩を送る」ことに由来するという話があります。
戦国時代、武田信玄が松本を領有していた頃、駿河の今川氏は武田領へ塩を送ることを止めてしまい、この辺りの領民は塩不足で困りました。
それを聞いた越後の上杉謙信は「兵をもって戦いを決する。塩で困窮させる事はしない。」と言って、武田領民へ塩を送ったのです。
その塩が正月明けに松本へ到着し、塩不足で困っていた領民はこれに感謝して『塩市』というお祭りを始め、そのうち塩が飴に変わり、今も続く松本あめ市になりました。
この故事にのっとって、上杉勢と武田勢による綱引きが行われるというわけです。
当日(1月8日(日))には塩取り合戦参加の募集が始まって、信毎メディアガーデン前の特設ステージ前で大綱引きとなりました。
神事
昨年同様、神事も催行されました。
今年は、前回、前々回とコロナのために中止となった中町一丁目の神事を見学させていただきました。
中町一丁目の御旅所も立派なもので、こちらに町会の方々が集まり、深志神社の神職さんによる祝詞、お祓いが行われました。
中町三丁目では10名の参加があったのですが、こちらは4名とやや少なく、「三丁目に負けたかぁ(笑)」と仰ってました。
以前はこの小祠をお神輿として皆で担ぎ、祝って回ったそうですが、若い担ぎ手が少なくなり、今は祝詞を上げるだけだそう。
色々と昔の話をお聞きできて、面白かったです。
今年の神事は、本町一丁目〜五丁目(一丁目は御旅所を出さず、深志神社で神事催行)、中町一丁目と三丁目、伊勢町一丁目は神事催行となり、中町二丁目のみ中止でした。
まとめ
3年ぶりに開催された今年のあめ市、人出も多く、例年のものにかなり戻ってきました。
新型コロナは今後も消滅することはなく、インフルエンザのように予防しながら付き合っていくしかありません。
そんな中で例年のイベントが戻ってきたのは松本市に住む人間としても喜ばしい限りです。