マガジンのカバー画像

【短篇集】思い出の居場所

4
運営しているクリエイター

記事一覧

海

波の音が聞こえる。飛沫を上げる、波の音。
細かく弾けて、消えゆく音。

海を見ると、いつも懐かしい友人のことを思い出す。
彼女はもうこの世にはいないけれど、
私の中には、きっとまだ生きている。
私が忘れない限りは、きっと生きている。
そう自分に言い聞かせる。

私の声は、彼女には届かない。
彼女の声も、私には届かない。
そんな距離の中で、私は未だに思い出してしまう。

私が今生かされているのは彼女

もっとみる
ソーシャル ディスタンス

ソーシャル ディスタンス

「ソーシャル ディスタンス」「ステイホーム」「みんなでがんばろう」

2020年春、都知事の呼びかけた言葉たち。
未知のウイルスに直面して、みんな必死だった。
そうだよね。そうだよ。

授業はオンラインになって、バイトは休業になった。
家族はリモートワークになって、家の中はめちゃくちゃだった。

それでも未知のウイルスから逃れるため、
国の言うことを聞いて、家の中にいた。

ウーバーイーツが急激に

もっとみる
煙

「私、煙草は吸わない。シーシャが好きなの。」
そう言った彼女は甘い香りのする煙を軽く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

僕と彼女の間にできた白い空間の向こう側に、彼女の派手な口紅の赤がぼんやりと浮かぶ。
その視線に彼女が気づいていたかどうかは、知らない。
あぁ、どうしようもないな。

僕は煙草に火をつけて、彼女が生んだ甘い香りを搔き乱す。
そこに漂う調和を、自ら搔き乱していく。
これでいい。
これ

もっとみる
芽吹き

芽吹き

3月。春、いや、まだ冬だろうか。
桜の蕾が膨らみ始め、ひとつ、ふたつと可愛らしい花を咲かせる。

桜を見ると、何故かいつも悲しい気持ちになる。

それは、また何も成し遂げられずに1年の始まりを迎えてしまったと感じるから。
それは、好きだった人と歩いた夜道で見上げた怖いくらいに奇麗な夜桜を思い出してしまうから。
それは、…。

「…」に入る言葉はこれからも増えてゆく。

どんなにいやだと泣き喚いても

もっとみる