秋の空ゆらり一片の舟浮く
季語:三秋
あきのそらゆらりいっぺんのふねうく
ゴミ出しやふと見上げて胸がすく
俳句っぽい語調に整えてみましたが、季語もないのでシャレのようなものです。
たまにご近所さんとゴミ出し時にすれ違いますが、朝早いし、荷物は重いし、時に臭うしでだいたいみなさん憂鬱そうな雰囲気です。おそらくわたしもそう見えていることでしょう。
憂鬱気分を振り払おうと背伸びして、空を見上げると澄んだ青空が広がっていました。
たまたまですが、今朝noteのタイムラインを眺めていたら、一面青空のカバー写真の方を2名みかけました。今日は天気のよい地域が多かったのかもしれません。
本日の一句|秋の空ゆらり一片の舟浮く
こんな空を見たら、何か捻らねばと思うのがにわか俳句のせっかちさ。ぐるっともう一度空を見渡したら、小さな鰯雲がわずかばかり浮いていました。
広い澄んだ空に、小さな雲が浮いている。天候の清々しさ同時に、空の広さや澄んだ青さを雲が引き立ててくれているようにに思えました。
空を海に雲を舟に例えてみる
ちょっと気取って比喩表現なぞ使ってみます。空を海、雲を舟。どちらも青く広大なものとちっぽけなものの対比です。
よくある例えではありますが、習作をいくつか作ってみます。
要は雲をどう呼ぶか、空をどう呼ぶか、雲の様子をなんと表現するか。この3つしか入らないので、パズルのようになっていきます。ところが、季語の検討段階で、「秋の空」「秋の海」が独立した別の季語であることが判明します。
秋の海は、「秋になって色が深く波がやや高くなった海」。
秋の空は、「澄みきった空をいう。秋は雨に見舞われることも多いが、その後、大陸からの移動性高気圧おおわれてからりと晴れあがり、爽やかな空となる。」(いずれも「きごさい歳時記」参照)
あらためて物事の情緒をシンプルに磨き上げてきた、季語の奥深さを知ることになりました。
秋の海とだけいえば、人それぞれいろいろなイメージがあるでしょう。しかし、俳句というわずか17拍のリズムでできた歌では、長い説明がなくても、読んだ人全員に共通したイメージが伝わる記号としての役割も必要になのです。
ゴミ捨てから始まった今日の俳句作りは、また基本の重さを身にしみることとなりました。
秋の空ゆらり一片の舟浮く
あきのそらゆらりいっぺんのふねうく
今日の完成形です。季語は秋の空を素直に採用。ふわりとゆらりを迷いましたが、雲を舟に例えたなら舟はゆらゆらですよね。小さな舟がゆらゆらと浮いているという情景を描きました。
ちょっとだけ、小細工をやっています。575で切ると以下のように切れます。あきのそらの後を//にしたのはここで、切れがはいるから(意味が切れる)です。
あきのそら//ゆらりいっぺん/のふねうく
言葉としては「ゆらりいっぺんの」でひと塊の意味を持つので、下5が字足らずのような印象を一瞬与えます。575にはなっていますが、言葉の意味で切ると584になっているわけです。この字足らずに見せかけた中途半端感で一片の舟の不安定さ、ちっぽけさを強調しようと目論んだのです。
どうでしょう。いちいち種明かしをしてみせるのは下世話なことではありますが、ご感想、ご指導いただければ嬉しく思います。
本日も最後までありがとうございました。
スキ・フォローも大歓迎です。俳句が最近続きましたが、音楽話などもすることがあります。