習慣にしていること/恋しくて急ぐ愛しき冷房や
タイトルが2つあるようですが、一応意味があるので。
2階トイレ照明つけっぱなし事件
転居後4ヶ月が経過しました。両親は1階でわたしは2階で過ごしています。トイレはどちらにもあります。度々書いていますが、母は体調が悪いためあらゆる行動がゆっくりになります。それは失礼ながら用をたすときも然りです。
同時に父がトイレを使おうとすると、必然的に2階のものを利用することになります。ただ、年を重ねる前から○○っぱなしの傾向のある人だったので、付けた照明はつけっぱなしが多いわけです。(ほかには出したものはそのまま、開けた扉もそのままとか、まあいろいろあります)
なので、2階のトイレの照明がついていると、気づかないうちに父が使って照明付けっ放しなのだと思っていました。思い込んでいました。2ヶ月くらい。
怪しい真犯人
どうも腑に落ちない気がしてきたのは、そもそもそんなに母とトイレが重なるだろうかという気がしたためです。そこで、2階への人の上り下りの有無に注意して、トイレの照明の付けっ放しと相関があるかどうか、注意してみました。
結論。
誰も1度も上がってこない日でも、照明の付けっ放しが何度も発生している。
つまり、犯人はお前だ。自分でした。
つけっぱなし発生のひみつ
はて、前の家のときにそんな悪習はなかったはずです。この家にきてから急に照明を消し忘れるという悪癖が増えているのです。
たいていのトイレは密室ですから、蒸し暑い空間です。一刻も早く快適な空間に戻りたくて、うっかり消し忘れが発生してまっているのでしょうか。
トイレは物事を考えるのにちょうどよい場所でもあります。思索の続きに夢中になって消し忘れてしまうのでしょうか。
どちらも可能性としては否定できません。しかし、前の家ではなかった消し忘れが転居後急に発生しているということは、思索や冷房よりも別の原因があるはずだと、他に転居前後で変わった点をよーく考えてみました。
真相はスイッチの場所にあり
記憶を手繰り、比較した結果違いがわかりました。照明のスイッチの場所に違いがあるのです。
正確には前の家は、トイレの中に照明がありました。今はトイレの外に照明があります。
たったそれだけの違いですが、人の自然な動線に大きな違いが生まれます。用をたすにはどちらにしても、点灯は不可欠です。スイッチがどこにあっても探して点灯させるでしょう。
では、用事がすんだあとは?
ドアを開け、外に出る前に(室内に)スイッチがあれば「ああ、消しておかねば」と自然に気づきます。一方外にスイッチがある場合、トイレから出てドアを閉めた瞬間、トイレのことはもちろん照明のことも忘れて次の行動に移ってしまいます。
スイッチの場所とそれに伴う心理的気づきの有無が、照明のつけっぱなしの有無の差を生んでいたのです。
大切なのは人の動線を意識すること
たぶん、こういうことはまじめに研究している人がいると思います。人に自然に理想的に行動させるための物の配置。人間工学とかいうのもそういう学問なのではないでしょうか。
たかが住宅のトイレのスイッチなので、大したことではありませんが、これが多くの人が出入りする施設だったらどうでしょう。トイレのはなしじゃありませんよ。並びやすいレジ、並びにくいレジがあったり、なんとなく入場者が左右のどちらかに偏る施設やオブジェの配置をしてしまうと、非常に使いにくい空間になってしまいます。
「空いてる列にオマワリくださーい」とか大声でアナウンスしている施設やイベントは、たぶん動線設計上に問題があったはずです。もし、何かイベントを企画する機会があれば、人の流れを予想してみるべきでしょう。
雑誌やカタログづくりでは視線の動きを意識しますよね。もっと大きなものでも同じ理屈が当てはまるのでないかと、考えたわけです。
結論
トイレの外にスイッチを付けるように設計した人物、つまり父が悪い。わたしのせいじゃない。
以上。
人間は猫様の後回しのようですぞ・・・