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死と向き合うことについて

三十年の時を経て・・・

年に数回のことなのですが、「故人をどこの火葬場で火葬したのか分からなくなってしまって調べている。」というような問い合わせをいただくことがあります。

(もちろん、個人情報ですし、かなり慎重に対応していることではあるのですが、だいたい善意を持った本当に困っている方からの問い合わせなので、なんとかしてできることは協力しています。)

今日も電話に出てしばらく話を聞いてみると、そんな内容の問い合わせだなと。
いつものように対応しようと思ったのですがどうも様子が違っていました。

問い合わせてきた方の話によると、最近両親が続けて亡くなってしまい、田舎にある実家を整理していたところ、30年以上前に無くなったご兄弟の遺骨が(骨壺に収まった状態で)出てきたとのことでした!
それで、この遺骨を埋葬しようと思うけど埋葬許可証が見つからないので再発行できないか。という内容でした。

ご両親が亡くなってしまったという話を聞いたところでなんとも悲しい気持ちになったのですが、さらにそんなショッキングな出来事に遭遇されたとのことで、僕も正直驚いてしまいました。

今も昔も変わらない親の気持ち

そのご兄弟は30数年前、まだ20代でお亡くなりになられたそうで、就職により実家を離れて一人暮らしをしていた先で、やはり前触れもなく病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったそうです。

そんな息子に対し、ご両親は現実を受け入れられず、納骨することが出来ないままずっと傍に骨壺を置いておいたのでしょう。

ビックリするような内容ではあるのですが、子を想う親の気持ちがひしひしと伝わってきたのでした。

きっと問い合わせてこられた方も、(自分のご両親が)亡くなられたご兄弟に対してどんな気持ちだったのか。改めて深く考えたのではないでしょうか。

ご遺骨に対する信仰心

今日においても、特に20代などかなりの若さでお亡くなりになられた方のご火葬に際しては、ほとんどのご遺族が分骨を希望されています。

分骨(ぶんこつ)とは、主にご収骨される骨壺とは別に、比較的小さなサイズの骨壺に焼骨の一部を収骨される行為と骨壺そのもののことをいいます。
分骨の目的は、例えば家族や兄弟で分けあったり、田舎のお墓とは別の身近な場所の新しいお墓に納めたり、あと多くは手元供養用だったりします。

民俗学的に、日本人は遺骨尊重の文化を持っているなどといわれているようですが、これは非常に興味深いところでもあります。
(先日話題にした「洗骨」がまさにそれです。)

私自身まだ身内を亡くしていないのでまだなんとも言えないのではありますが、確かに、遺骨が身近あったら寂しさが少し紛れるんじゃないかというような感覚になる気がしています。

この気持ちはなんとも説明し難いものですよね。
おそらく感覚的に、本能的に自分に備わっている気持ちなのでしょう。。。

ご遺体とご遺骨の尊厳について

今回のケースだけでなく、日々私たちがお迎えしているご遺族様それぞれに故人に対する思いや思い出があるわけで、もちろん遺骨に対する考え方もそれぞれあるのだろうと思います。

火葬が執行され、いよいよ遺骨になってしまった故人に向き合うご遺族様の気持ちを考えたら、私たちがどんな思いをもって業務にあたるべきか、自ずと答えは出てきます。


今回の出来事を通して、これからもご遺体とご遺骨の尊厳を第一に考え、少しでもご遺族様に寄り添いながらサポートができたらなと、改めて考えさせられたのでした。

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