板垣裕太/Yuta Itagakky

3.11のせいで人生を狂わされた一人。このまま死にたくないと、30歳を期に(色々あって)某火葬場に転職。日々目の当たりにする人間ドラマを自らの人生に置き換えてみたら、残りの人生をどう畳んでいくべきか。大切さを考えるようになりました。人生とは、人間とは。つらつら書こうと思います。

板垣裕太/Yuta Itagakky

3.11のせいで人生を狂わされた一人。このまま死にたくないと、30歳を期に(色々あって)某火葬場に転職。日々目の当たりにする人間ドラマを自らの人生に置き換えてみたら、残りの人生をどう畳んでいくべきか。大切さを考えるようになりました。人生とは、人間とは。つらつら書こうと思います。

最近の記事

自然葬は”火葬ビジネス”に一石を投じるのか…

火葬場を運営する事業主体が“公益事業”を謳いながら明らかな商売(ビジネス)をしている現状を憂える記事だと、私には見受けられた。 こう書くと自己矛盾を露呈することになるのだが、しっかりと現実を受け止めなければならない。 「現在全国の墓地で最も多く見かける、墓石の下に骨つぼをおさめる区画(カロート)があり、『○○家(先祖代々)之墓』などと刻まれた型式の墓が全国に広がっていったきっかけは、この9月1日で発生百年を迎える関東大震災だった。」(日本経済新聞、Nikkei The S

    • 相対するものの受容の難しさに見えたこと

      「家族葬」を取り巻くプライベートとパブリックな人間関係個人がますますプライバシーを重視し、また、これを権利とし、さらにこの権利を商売道具として売り買いされる社会。 いわゆる「家族葬」という葬儀形態が一般化してきた流れとは、まさに個人がプライバシーを重視するようになった流れにおいて”ごく自然に生まれた”ものと捉えるべきなのでしょう。 かたや葬儀がこうして個人や家族の極々プライバシーなものとして完結されてしまうことの弊害として、プライバシーの外側にいる人々、つまり友人、仕事、

      • 人を死に至らしめるウイルスのこと

        2020年が終わる前にいつか落ち着いたら書こうなんて思っていたけれど、まったく、落ち着くばかりか明日(大晦日)には東京をはじめ全国で過去最高の感染者数を記録するような勢いで増え続けているので、とりあえず大晦日イブの今日、少し心の内を吐き出しておこうと思います。 いちばん伝えたいことこの流行のウイルスについて、もっとも恐れるべきことは何なのでしょうか。 感染力でしょうか。 いや、誰がなんと言おうとそれは、もし重症化して死んでしまった場合、お見舞いどころか火葬にも立ち会ってもら

        • “葬儀の簡素化”をポジティブに捉えるべき

          早いもので、葬祭業界に入りもうすぐ4年が終わろうとしています。 今回は、この4年という短い間であるにもかかわらず、明らかにものすごいスピードで進んでいる“葬儀の簡素化”なる現象について、考えたことを書いてみました。 「この4年間」と書きましたが、明らかに4年前とは様相が変化しているのです。 当社が運営する斎場利用においても、“通夜なし”葬儀が明らかに増えてきているし、会葬規模も親族プラスアルファの少人数がスタンダードになりつつあるなという印象を受けています。 まずはこのような

          そんなのやめちゃえばいいんじゃね?ってことを真剣に考えてみた

          まぁこれも仕事中にお客さまに何気なく言われたことなんですけど、 (前記事「無題」参照。死産で亡くなられた胎児のお子様のお母さんとの会話より。) 「やっぱりこういうところって喪服着てこなきゃダメなんですかね?あんまり暗い悲しいお別れにしたくなくて。明るくお別れしたいから、いわゆる平服ではダメかなって・・・」 やはり火葬場には9割が喪服(礼服)で来場されるので、なんと返答しようか迷ったけど、「平服で来場される方もいらっしゃるので、そこは皆さんのお考えに合わせて来ていただいて大

          そんなのやめちゃえばいいんじゃね?ってことを真剣に考えてみた

          無題

          火葬場で仕事をしていると当たり前だけど死と向き合う場面が多くある。 中でも死産時(胎児)のご火葬に関して、時にそのご両親に対し施設利用の説明をするのだけど、なんだか僕の方が悲しくなってきて声が震えてしまう。 お母さんと話すこともあるのだが、きっと辛い思いをされているだろうに、しかし『最期は明るく見送りたい』なんて言われたら、こちらが心を動かされてまるで目の前でドキュメンタリー番組でも観ているかのようだ。 女性って強いなぁと思う瞬間である。 一方で、火葬場として何ができる

          「今」を大事に生きること

          「でも、今の私は80歳を超えていて、この先そんなに長く生きる年齢ではない。寿命がすぐそこに見えているという事実が、私を冷静にさせました」 先日、10月28日にご逝去された女優・八千草薫さんの手記に書かれていたという言葉です。(『文藝春秋』2019年8月号) 貼り付けたURLの文春オンラインから読むことができるのでぜひ全文を。 私のこの記事のタイトルにも引用させて頂いている「今」を大事に生きることの難しさについて、この手記の最後に綴られているのがとても印象的でした。 八千

          「今」を大事に生きること

          適応しすぎた先に待っているのは・・・

          今日ふと考えたことがあるので、書きます!! “特殊化”した我が社のシステム皆さんも名著『失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫・戸部良一ほか)』をお読みになったことがあると思うのですけど、その中で「恐竜がなぜ絶滅したのか」に関する一説を用いて、組織論について論じられている部分があるのですけど…(以下引用) 恐竜がなぜ絶滅したかの説明の一つに、恐竜は中生代のマツ、スギ、ソテツなどの裸子植物を食べるために機能的にも形態的にも徹底的に適応したが、適応しすぎて特殊化し、ちょ

          適応しすぎた先に待っているのは・・・

          業界の繁忙期

          よく聞かれます。 「やっぱり冬場の方が人が亡くなるって本当?」と。 でも実際、これからの季節、明らかに火葬体数が増えてきます。 よく聞くのは  ・ヒートショック(お風呂と洗面所の寒暖差とかいいますよね)  ・寒さによって肺炎などが引き起こされやすくなる(らしい)  ・免疫力が低下して病状が悪化するとか そんなことで、死亡率が高まるのがこれからの季節ということらしいのです。 僕にも遠くに祖父母がおりますが、心配ですね。 他人の葬儀のお手伝いをしながら、常に自分の身内の心

          自分が葬祭関係の仕事に関わっているのに、いざ身近な人が亡くなると、どんな風に気持ちを整理すべきかがわからない。仕事とそれとは違うことなんだ。と、自分の頭を整理してみる。ただ、あの時会っておけば…みたいな後悔の念が押し寄せてくる。死を満足に迎えられないのは当の本人だけではない。

          自分が葬祭関係の仕事に関わっているのに、いざ身近な人が亡くなると、どんな風に気持ちを整理すべきかがわからない。仕事とそれとは違うことなんだ。と、自分の頭を整理してみる。ただ、あの時会っておけば…みたいな後悔の念が押し寄せてくる。死を満足に迎えられないのは当の本人だけではない。

          故人との最期のお別れのあり方について考えたこと

          お葬式は誰の何のため? 僕はお葬式をした方がいいと思う側の人です。 亡き人を悼み、悲しみ、そして最期のお別れをするための儀式のことです。 最近、こんなケースがありました。 故人との最期の別れにはドラマが・・・火葬当日、火葬場に集まったご遺族たち。 故人は火葬の前日に亡くなった方で、喪主(故人のご兄弟)の意向に従って葬儀は火葬のみ、特にお葬式などをしないいわゆる直葬スタイルで、恐らく葬儀社のスタッフも依頼内容に基づいて粛々と葬儀を進めていこうとしていたことでしょう。 しか

          故人との最期のお別れのあり方について考えたこと

          「10〜30代の死因1位は自殺」の記事を読んで考えたこと

          寿命ってなんなんだろう・・・人の寿命がわかるようになる。 なんて未来がすぐそこまできているような気がしますが…。 もしわかるのならそれを確認すべきなのか、否か。 もしわかったら自分は残りの人生をどう送るだろうか。 齢30も半ばに差しかかろうとしている今日この頃ですが、生き急いできてしまった20代後半と全く異なるペースで今を生きている時分に、ふと残りの人生を意識することがあったので感傷に浸っていたのでした。(今は元気!!) さてそんな中。 「10〜30代の死因1位は自殺」な

          「10〜30代の死因1位は自殺」の記事を読んで考えたこと

          もしも死んだ人と会えるなら

          最近悲しい交通事故のニュースに胸が痛んでいます。。 もしも我が子が、もしも妻が… なんて、昨日今日は仕事が休みだったから、子供達を見送りながら無事にまた帰ってくることを祈ってみたりなんかして。 さて、ツイッターのタイムラインをスクロールしてたらこんな番組のリンクが貼られたツイートを見つけました。 (観たかったな…) NHK『復活の日〜もしも死んだ人と会えるなら〜』 https://www4.nhk.or.jp/P5627/ 現代版〝いたこ〟。 所謂テクノロジーの

          もしも死んだ人と会えるなら

          死と向き合うことについて

          三十年の時を経て・・・年に数回のことなのですが、「故人をどこの火葬場で火葬したのか分からなくなってしまって調べている。」というような問い合わせをいただくことがあります。 (もちろん、個人情報ですし、かなり慎重に対応していることではあるのですが、だいたい善意を持った本当に困っている方からの問い合わせなので、なんとかしてできることは協力しています。) 今日も電話に出てしばらく話を聞いてみると、そんな内容の問い合わせだなと。 いつものように対応しようと思ったのですがどうも様子が

          死と向き合うことについて

          人々の消費行動のこれから

          今朝の日経、一面の小見出し部分にあり気になった記事「社員7人、花王に挑む」。 化粧品の新興ブランドの勢いすげえ!!という内容でした。(たぶん) 記事によれば、新興ブランドの戦略の特徴について、彼らは開発とプロモーションに専ら特化し、生産は外部委託。 まさにファブレス。 しかも、広告宣伝はSNSを中心に。 ときたら(うまくいけば)この時代無敵なんじゃねぇか!? そんな上手い話…なんて少し斜めにWebサイトを覗いてみた。 けど、まんまと裏切られた。いい意味で。 “にわか”な

          人々の消費行動のこれから

          最近自分の歳が分からなくなってきた話

          おととい東日本大震災から8年が経ちました。 僕も8年って時間の経過がよく分かっていない側の人間でして。。 唯一のバロメーターが震災の次の年に産まれた娘が4月から小学校に上がるってことでしょうか。 だから 7 たす 1 は 8 ということで、8年経ったんだなと思うわけです。(よく分からない計算ですね?) 娘の成長があっという間であったように、僕と震災との付き合いもあっという間の歳月を重ねているわけでして。 またこの日が来るたびに色んなことを考えるわけです。 ただ最近

          最近自分の歳が分からなくなってきた話