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『自分とか、ないから。』は著者の苦悩が伝わるからこそ響く哲学エッセイだった

本を読まない人のための出版社、サンクチュアリ出版さんの正直レビュアーに就任しました。

名前の通り、正直にレビューするのが役目です。対戦よろしくお願いします。

就任特典として、選んだ本を1冊プレゼントしてもらえました。まじかよ。嬉しさ余ってレビューで忖度しちゃいそう。

僕が選んだのは『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』

もともと好きなんです、東洋哲学。

東大卒エリートが東洋哲学を解説する本ね、…と思ったら

本を選ぶ時、タイトルと表紙に書かれている哲学者たちを見て、なんとなーく内容を想像してみた。

ブッダ、龍樹、老子、荘子、達磨、親鸞、空海。

はいはい、なるほど。

無我縁起のハナシ、世界は自分を映す鏡だからおまえの心持ちでこの世は楽園になるぜ的な、そういう話をする本なのでしょうね。

東大卒のニートというキャッチーな経歴を持つ著者が、東洋哲学との出会いを起点に現在はバリバリ最前線に戻ってますみたいな。そういう本でしょ?

はいはい。だいたいわかった。

完全に理解したわ!

と思ったら違いました。

著者プロフィールを読んで衝撃を受けた。

著者さん、いまも無職の可能性がある。

大阪府出身。東京大学法学部卒業。 大手IT企業に入社し、海外事業で世界中とびまわるも、仕事ができないことがバレてひそやかに退職。 鹿児島にある島に 移住して教育事業をするも、仕事ができないことがバレてなめらかに退職。 一発逆転をねらって芸人としてR-1グランプリ優勝をめざすも1回戦で敗退し、引退。無職に。 引きこもって布団の中にいたときに、東洋哲学に出会い、衝撃を受ける。 そのときの心情を綴ったnote、「東洋哲学本50冊よんだら「本当の自分」とかどうでもよくなった話」が少し話題になり、なぜか出版できることになり、今にいたる。

『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』サンクチュアリ出版

東大の法学部を出て、IT企業でうまくいかなくて辞めて、田舎で事業立ち上げに挫折して辞めて、芸人にもなれず、離婚して、引きこもり、noteがバズり、今に至る。

あれ?この著者、今もまだニートじゃね?

ずっとニートじゃん

まじかよ、この著者、ブッダなのかもしれん

東大卒といえど、現役ニートが東洋哲学について書いた本なの?そんなのアリ?

情報過多の令和の現在、キラキラしていない人や、今すぐ役に立たない情報は見向きもされないと思ってた。

ところがこの本の著者は無職、東洋哲学はライフハックにも向いていない。

東洋哲学に感銘を受けて出家しちゃったとかでもない。本当に無職。

まじか、この著者、本気で東洋哲学してやがる…。

本の内容にも書かれていますが、東洋の哲学者って無職率高いんですよね。しかも元エリートが無職になるケースが多い。ブッダなんて元々は一国の王子様ですからね。エリート中のエリートが無職になってるんです。

著者さん、ブッダなのかもしれん。

天才+布団=東洋哲学

東大卒現役ニート、だからスッと伝わる哲学エッセイ

急にまじめな話になるんだけど、ブッダの教えなんてめちゃくそにシンプルなんですよね。この本に書かれている「自分とか、ない。」まじでそれだけ。

あとは、どれだけそれが腹落ちするかが問題。

やっぱり誰が言うかって大事じゃないですか、僕がこのnoteで突然「自分とか無いんですよ、ガチで」って言っても誰も見向きもしてくれない。

だから僧侶が本を書いてたり、僧侶がYouTubeやってたりすると思うんですが、あれはあれで自分の生活とは関係がないように思えちゃう。僧侶ってちょっと浮世離れしてる感じありますよね。

でもこの本の著者しんめいPさんは、お布団の中という僕らの馴染み深いところから本を書いてくれています。

それに、びっくりするほど原稿を書くのが苦しそうなんですよ。内心は「わかんねー」「突っ込まれそうで怖えぇ」と思いながら書いているのが伝わってくる。

そういう親近感が湧いちゃうような文体なのに、東大卒っていう実績が「でもやっぱすげぇんだろうな」と思わせれる。すっごいいいバランスのエッセイ。

『自分とか、ない。』というタイトルの本で、著者さんがどんな人かわかっていくのもめちゃくちゃ面白いっす。

東洋哲学に触れて、救われたはずなのに、苦しみが普通に伝わってくる。自分とかないという話を通して、どんな人が書いたかわかっていく。これってすごい読書体験だなと感じます。

東洋哲学って役に立つのかたたんのかよくわからんところあると思うんですが、それすらも体験できた気がします。

魔法が解けたディズニーランドで夢の続きを見ようぜ

ここからは『自分とか、ないから。』を読んだ後で感じたことを書かせてください。

東洋哲学のすごいところは誰もが抱える負の感情を浄化できるところだと思いました。

「どうしたらいいんだろう」「なぜなんだろう」みたいな、全人類の悩みをスッと消す力が、東洋哲学にはある。

そのための方法もシンプルで、この世はフィクションだと気づくこと。僕らはみんな壮大なディズニーランドにいるようなもの。

フィクション信じすぎ問題

「老後資金が足りねぇ」とか「AIに仕事を奪われるかもしれねぇ」とかは、僕ら人間が勝手に作り出したルール上の話で、近所のハトとかネコからしたら、自分で作り出したルールに本気で悩む姿はこっけいにさえ見えるかもしれない。

言ってみれば、ディズニーランドに遊びに行って「待ち時間が長すぎて全部回れない」とか「混みすぎてパレードが見えない」とかにいちいち本気でブチギレているようなものかもしれない。

人間のルールに縛られる人間

それだけじゃない。死ぬのが怖いなとか、愛されたいなとか、悩みは全て東洋哲学が解決してくれる。

心がスッと軽くなる。

でもそれだけじゃダメなんだよね。

悩まないってのは楽しまないってことで、さっきのディズニーランドの例えで言えば、「アトラクションに乗らないから待つことがない」「パレードを見ないからイライラしない」みたいな話。それはそれで斜に構えすぎ問題が発生する。

傷つかないけど楽しくもない

達磨のように壁に向かうのも、老師のように清濁合わせ飲むのもかっこいいけどさ、生まれたこの世を精一杯楽しむ空海みたいなしたたかさはあってもよさそうだよね。

フィクションだと知って魔法が解けたディズニーランドのような僕らの毎日を、精一杯楽しみ夢の続きを見るのが、東洋哲学の活かし方なのかもしれないと思った。


↓著者さん出演のYoutubeもありました。興味がある方は併せてご覧ください。

初のレビューでまとまりないですが、こんな感じで許してください!

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