ツヅミアカリ

心地のよいくらしを一日、一日と重ねていく。ということがなぜこんなに難しいんだろう? 自…

ツヅミアカリ

心地のよいくらしを一日、一日と重ねていく。ということがなぜこんなに難しいんだろう? 自分の心の方位磁針が指すほうに向かって進むためのエッセイ。 普段は手仕事雑貨の制作販売をしています。 生活の中で息づくものと一緒に、心地よく暮らそう。

最近の記事

「愛してる」なんて言わないで

洋画でよく 「愛してる」と言うセリフが出てくる。 特に違和感もなく自然に受け入れている。 しかし邦画や日本のドラマで「愛してる」と聞いたら、鳥肌が立ってしまうのは私だけだろうか。 先日彼からプロポーズを受けた。 私は彼を愛しているし、初めて「愛」を心から感じさせてくれた人だとも思う。 でもお互い「愛してるよ」とは言わない。 ご飯を食べる時に取り皿やお箸を準備してくれたり、リビングでうっかり寝てしまった時にブランケットをかけてくれたり。 そんな些細な行動で愛を感じてはい

    • 不器用でも大雑把な人にはならない

      ハンガーにコートをきちんとかけるとか、 ゴミをゴミ箱に捨てるとか、 人の話を最後まで聞くとか。 当たり前だと思っていてもできていないこともある。今一度自分の胸に手を当てて、思い返してみてほしい。 なぜこんな文章を書いているのか。 それは先日仕事でなんだかなあと思うことがあったからだ。 毎日仕事をしていればまあそれなりに色々ある。 性別、年齢、育った環境、何もかも違う人たちが同じ場所に集まって仕事をするのだからしょうがない。 だから仕事上付き合ううちに、 驚かされること

      • 大切なことを忘れたくない

        前に梅仕事をしたという記事を書き、 2ヶ月近く経って気づいたことがあった。 それはたゆたうように、そしてじっくりと生きる大切さ。 梅仕事は工程が多い。 現代人にとってはレベルが高いなあと思う。 でもそれは今まで先祖代々ずっと伝えられてきたもので、現代の様子の方がおかしいのかもしれない。 現代はあまりにも合理的で効率的、ロボットのようにミスのない仕事が求められ、多くの人は自分で作物を作ることもない。 種から苗が育ち、木になる時間を人間は待てなくなっている。 生きると

        • 月を見て泣いたあの日

          月を見上げる時、わたしはいつも心が不安定で悲しい気持ちになる。 いや、悲しい気持ちになる時に月を見上げているのかもしれない。 その時はいつも月を見てきれいだなと思うと同時に、心の中にいる小さなわたしが泣き出すのだ。 なぜ泣くのかは自分でもよくわからない。 職場の不満だったり、人間関係がうまくいかないというありきたりな悩みかもしれないし、彼との関係に不安を覚えたり、一人の働く女性として将来が漠然と不安になったからかもしれない。 心の中の小さなわたしは、 グッと涙を堪える

        「愛してる」なんて言わないで

          心地いいって、なんだろう。

          よく聞く言葉で、わかっているようでわかっていないものが結構ある。 何かのきっかけで、 ああそういうことか!とようやくわかったりする。 でもそれを言語化しようとしてもありきたりな言葉でしか表現できなくて、 結局、「経験すればわかるよ」みたいなところに行き着いてしまう。 「心地いい」もその部類だと思っていて、当たり前に使う言葉だけれどいまいちわかっていなかったりする。 私のプロフィールにも 「心地よい日々を一日、一日と重ねていく。」 という文言があるけれども、心地よい日々

          心地いいって、なんだろう。

          私は梅仕事を知らない

          私は三十年生きてきて、 初めて梅の実を手に取った。 梅の入った袋を開けると、ほんのりと甘くていい香りがした。梅はすでに山吹色に熟していて、ジャムになるのはまだかまだかとソワソワしているよう。 昔、実家近くのお家にたくさん梅の実がなっていたけれど、収穫されることはなく、ポロンポロンと道路に落ち、小鳥や虫の餌となっていた。 そんな梅とは無縁の私が梅のジャムを作ろうと思ったきっかけは一冊の本だった。 早川ユミさんの『くらしがしごと 土着のフォークロア』。この中に「千円で梅干

          私は梅仕事を知らない

          本を読んで知る、考える

          私はもともと本をあまり読まない人だ。 学校の図書館に通った記憶もないし、 本屋さんに行っても漫画の棚ばかり見ていたように思う。 本を読まざるを得なくなった大学生になって、 図書館に通い、毎日毎日いろいろな文献を読んだ。 でもそれは勉強や論文のためであって、自分から進んで読んだとはまた少し違う。 社会人になると再び本との距離は遠のいた。 本を読む時間がないと思ったし、本を読むならアニメを見たりYouTubeを見たかった。 だから本を読むようになったのは、ほんのここ数年

          本を読んで知る、考える

          もう十分頑張っているから

          どうしてそんなに自分を追いやってしまうんだろう。 体が壊れるほどに、心が壊れるほどに。 努力は報われないし、ハッピーエンドばかりじゃない。そんな世の中で頑張るということが神格化されている気がする。 頑張ればいつか、、 頑張ればきっと、、 頑張ることは素晴らしいと思う。 ただ、頑張る方向がこれであっているんだろうか、とたまに思う。 自分と合わない環境で頑張り続けることが果たして自分の人生を豊かにするんだろうか。 楽をしたい、ともまた違う。 どんな道を選んだって苦し

          もう十分頑張っているから

          自分の人生を自分の足で歩く

          つまずいたり転んだり。 あっちに行ったかと思うとこちらに戻ってみたり。 人生はなかなか一筋縄では行かなくて、時に自分を責めたり社会に対して愚痴を漏らすこともある。 そして 「どうしてこんな風にしか生きられないんだろう」 と悩んだり、 「本当はこんなつもりじゃなかった」 と嘆いたり。 私はそんな時本を読む。 本にはその人の人生や考え方がギュッと詰め込まれていて、心地よく暮らしていけるヒントが散りばめられているから。 生きていくのに正解なんてないんだけれど、自分が楽しくて

          自分の人生を自分の足で歩く

          春風と生姜シロップ

          長い冬が終わり、ようやく北海道にも春がやってきました。 ついこの間まで雪に覆われていた銀色の世界から、 力強く咲く草花を見ていると、改めて生命の力強さに驚かされます。 私の身体は冬眠から覚めた動物のようにいろいろな栄養を欲しているみたいです。 そこで最近は、家にあるものやスーパーで手軽に買えるもので、身体が元気になる料理を作ることに少しハマっています。 この時期の北海道はまだ寒く、特に朝晩は足元や手先が冷えます。 そこで最近作ったのが、生姜シロップ。 夜ご飯には炭酸

          春風と生姜シロップ

          心と身体の声に耳を傾ける

          ここ数ヶ月とても調子が良い。 調子がいいとはどんな風かというと、 毎晩ぐっすりと眠り、朝は6時にはすんなりと起床して朝日を浴びている。 そして体が軽くて毎日「充実しているなあ」と思えているといった心と身体がうまく噛み合っている状態。 私はもう少しで20代を卒業するけれど、 ようやく、言葉通り本当にようやく心と身体がつながっていると実感している今日この頃。 よく心と身体は繋がっているんだよ、という言葉を聞いてわかっていると思っていたけれど、腑に落ちてはいなかった。 こ

          心と身体の声に耳を傾ける

          どんなふうに年を重ねていこう

          私は今年30歳になる。 20代は心と身体の調子が波打つように安定せずに色々と大変でした。 一方で、そのおかげでたくさんの大切なことを同年代の方よりも少し早く知ることができた気もしています。 それは心と身体の声をきけることだったり、 自分を喜ばせる方法を知っていたり。 つまりは幸せな気持ちを毎日いろんな場面で感じることができるということ。 これから先もそんな小さな幸せを感じながら、心穏やかに過ごしていきたい。 そして笑顔のシワが素敵で、自分の好きなことを貫き通してい

          どんなふうに年を重ねていこう