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要介護5の母と家族(急性期病院編)

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脳出血で要介護5となった母が救急搬送されてから急性期の病院にいる間までの家族の物語です✨悩んだり落ち込んだりする日々も、前を向いて家族で乗り越えていこうとする姿も赤裸々に書いてい…
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#意識障害

意識を取り戻した母

意識を取り戻した母

2021年6月27日に脳出血で母が入院して
もうすぐ2ヶ月が経とうとしていた。

急性期の病院には、
入院できる期間が国で決められていたため、
8月末には退院し別の病院へと
移動しなければならなかった。

自立呼吸が回復し、一般病棟に移ったものの、
2ヶ月意識は戻らなかった。

母は意識が戻っても
後遺症が残り歩けないかもしれない。
これまでと同じように
生活することもできないかもしれない。

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母がいない誕生日

母がいない誕生日

2021年8月7日は私の20代最後の誕生日だった。
母が脳出血で入院し1ヶ月と少し経った頃、
私は必死に願っていた。

「どうか母の意識が戻るように」と。

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私たち家族は仲が良く、小さな頃から誕生日には
大きな丸いケーキを囲んでお祝いしてくれた。

甘いものが大好きな私には、
夏にぴったりなアイスケーキを
いつも買ってくれた。

家族がいること
みんなで一緒に食事ができること
そんな当

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母が倒れた後の仕事復帰

母が倒れた後の仕事復帰

母が脳出血で入院して半月が経った。
脳出血の血を取る手術をしたが、少しずつ血が広がってきていて、頭の中の水の通り道が塞がっていて、意識が戻らず人工呼吸器もつけたままだった。

寝たきりの状態が続いているため、エコノミークラス症候群、肺炎、脳梗塞の再発、いつ何が起きてもおかしくはなかった。

母が入院している際には、週1回の面会以外は会うこともできなかったため、リモートワークではあったが、私は仕事を

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世界で1番尊敬している母

世界で1番尊敬している母

母が脳出血で倒れ、意識がない状態が続いている中
私たち家族は、いつどうなるかわからないことに
日々不安を抱えていた。

そんある日の夜、父が突然パソコンに入れられていた昔の写真を探し出してくれた。

そこには、優しい母の笑顔がたくさん詰まっていた

母が倒れたことによって
失ってしまったことや未来への不安を抱えていたが
母とのこれまでの思い出や、母からもらった沢山の愛情を思い出すきっかけにもなった

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母が倒れて変わった私

母が倒れて変わった私

母が脳出血で入院してすぐに
私自身も、私の生活も変わった。

母が入院することとなり生活は一変した。
母が倒れる前は、実家の掃除・洗濯・食事などすべての家事を母が担っていたこともあり、家のことが回らなくなった。私は実家を出て、家のそばで暮らしていたが、実家には弟と父と母の3人で暮らしていたため、生活を守る必要があった。妹や弟と分担をしながら家事を行っていたが、慣れていないこともありなかなかうまくい

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集中治療室での面会

集中治療室での面会

救急で搬送された数日後
初めて母と面会できることとなった。

数日経った後も、母の意識は戻っていないこと
いつ何が起きてもおかしくないと
主治医の先生から言われていた。

コロナの影響もあり、集中治療室に入れるのは
一回につき2.3人ずつ面会することとなった。
父、弟、妹、祖母、叔父、叔母、私の7人で病院にいたため、3回に分けて母と会うことになった。

まず最初に妹と弟が集中治療室に入ることとなっ

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3度の脳梗塞と戦った母

3度の脳梗塞と戦った母

脳出血で意識の戻らない母。
救急で運ばれた後1週間が経っても目を覚さなかった

母に明日はくるのか。
これからどうなるのか。
何も分からず不安で押しつぶされそうなとき、
何か母につながるものに触れていたくて、
母が大切にしていたノートやら手帳やらを取り出し
母の言葉を読み返していた。

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2021年58歳で母が脳出血で倒れる前に
2016年の秋に脳梗塞と診断され緊急入院していた。

そし

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母に明日はくるのか

母に明日はくるのか

母が救急で運ばれた2日後、
母のその後の経過を聞くべく、病院に行くこととなった。

父、私、弟、妹、そして母の兄である叔父や叔母、私の祖母も朝の10:00に病院に集まった。

手術を担当してくれた先生より、
術後の経過を聞いた。

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脳の中の出血が引かずにいて、
まだ命の危険があり、集中治療室にいること

手術の際の麻酔は切れているが、
まだ意識が戻らず、人工呼吸器をつけていること

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