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【読後感】小野純一『井筒俊彦:世界と対話する哲学』慶應義塾大学出版会、Kindle版、2023年

 小野純一の井筒俊彦論。小野は井筒の経歴だけでなく、井筒哲学を直接解釈して論じている。真っ向から井筒と向き合っている。本書では井筒の『言語と呪術』を皮切りに論じる。「あとがき」にもあるように、著者は井筒を言語哲学者としている。井筒のイスラム思想、老荘思想、仏教、井筒の日本語主著『意識と本質』といった事柄を彼の哲学的言語観を通して著者は語る。そして、著者は井筒の言語を通した自由な思考を考察する。

 『言語と呪術』に関して、小野は「井筒は生涯の中で多くの著作を生み出したが、『言語と呪術』は唯一のまとまった「言語論」である。その意味で、この書は井筒の思想的原点とその展開を読み解くうえで、非常に重要な著作である」(小野純一『井筒俊彦』第1章、第1項)とする。その「「呪術」とは、言語が心に働きかけ、思考や行動に及ぼす効果のことである」(同上)。これは言語の魔術や呪いのような前近代の風習だけではなく、言語の根本的な仕組みを指す、との事。これらの部分も興味深く読んだ。私の呪術が恐怖を与える先入観を覆し、呪術の論理的な側面を捉えているため。そのような『言語と呪術』を小野は、井筒にとって言語的に重要な書物と見る。そのため、本書全体を通して『言語と呪術』の引用がたびたびなされる。一つの思想の読解として。
 小野は「(井筒の主題は、)言葉と人の心の関係を解明することである。意味によって、心に何かが喚起される。その仕組みや内実は、文化によって異なる。それを明らかにし、構造化することに井筒は最大の関心を抱き続けた。本書はその全貌を明らかにする」(同書、第1章、第4項)。
 本書はその意図が成功しているのかどうかは、私には分からなかった。ただ、本書を世に出したことで、井筒研究に一石を投じたことは間違いない。

 井筒は30近い言語を身に付け、操ったと私は記憶している。そんな井筒が言語に関心がないわけがない。彼は東洋思想を専門にした。それでいて、西洋哲学にも通じていた。そして、多言語を使いこなした。だから、彼には思想の東西の橋渡しができたのだろう。井筒の『意識と本質』のように、「「共時的構造化」という方法によって井筒独自の理論の展開もした。その根底には、東洋思想の分析から得た根元的思想パターンを自分の身に引き受けて主体化し、その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない、との問題意識があった」。(井筒俊彦『意識と本質』岩波文庫の紹介文のある所を改変)

 小野は井筒哲学に果敢に挑み、本書に結実した。この功績で、小野は井筒研究の一躍を担っている。

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