自分を苦しめた人間を忘れるのではなく許せる時とは。
生きていると理不尽な事に出会い苦しみも味わうものです。
そして自分をパワーハラスメントなどで不当に苦しめた者を忘れる事はあっても許すという事は通常は生涯ないです。
なぜなら人間というのはいじめた方は完全に過去にいじめた者の存在すら忘れる事が多いですが、いじめられた側は一生覚えているものです。
それでもいじめられた側がその後は月日の流れとともに怒りや憎しみと言うネガティブな感情を忘れるのです。(決して起きた事そのものは忘れません)
新しい良い出会いがあったり、新しい世界に入って楽しんでたり、転職先が人間環境的に恵まれていて仕事に忙しい等の日々を送ってるうちに、または中学生や高校生の時にいじめられていたけどそれから数十年と経過し40才、50才となれば今の方が苦しいから「子供で親から守られていたあの頃の方が良かった」という意識が働き「今となっては良い想い出だ」と感じるものですがそれでも決して心地よく「自分をいじめてくださった人達有難うございます」とはなりません。
ではどうしたら「許せる」ようになるのでしょうか。
それを説明する前置きとしていじめる人の特徴を述べます。
いじめる相手を選んでいる。(コイツは大人しいから大丈夫、コイツは気が強いからやばい等)
自分が主人公、主役でリーダーでないと気が済まない。
自分より強い者には弱いが自分より弱い者には強い。
結論:いじめた人間が新しい環境で一番下っ端で多くの人に頭を下げて裏方の脇役として謙虚に黙々と働いてるのを見た時です。
その時、いじめられた側の人間は「自分も成長したけど相手も成長したな」と思うものです。
かっては舞台の上の真ん中で俺様が主人公、主役でスポットライトを浴びて自らが支配しなければ気が済まなかった人が今では裏方の脇役で頭を下げて謙虚に働いてる姿を見た時にお互いに相手を認識しつつも無言の状態ですがお互いに「心の和解」ができてるのです。
最後までお読み頂き誠に有難うございました。
山本いちたけ
2022/7/11
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