文禄4年(1595)4月13日は長宗我部元親が家臣志和勘助を蜂須賀家政への内通容疑で殺害した日。家政は元親の使者として訪れた勘助を気に入り仕官を進めた。これを漏れ聞いた元親は一方的に内通を疑い黒岩玄番に襲撃させ一族もろとも滅ぼした。こんな猜疑心の強い上司を相手にしたくはないです。
天正14年(1586)12月12日は戸次川の戦いで豊臣軍の先遣隊が島津軍に敗れた日。大友氏救援のため仙石秀久ら先遣隊が派遣された。この戦いで長宗我部元親の嫡男信親や十河存保らが討死。秀吉から援軍が到着するまで戦端を開くなと厳命されていた秀久の無謀な渡河作戦が敗戦の原因といわれる。