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「歴史街道」6月号に6ページ書きました

東京でしかも渋谷でお茶をつくっていた事実!

佐賀護国神社 #神の集い3

2年前

【百年ニュース】1921(大正10)6月18日(土) 旧肥前佐賀藩主の鍋島直大が死去,享年74。葬儀は神式で行い,鍋島家菩提寺の賢崇寺(元麻布)ではなく青山霊園に土葬された。喪主は嗣子の鍋島直映(48)。侯爵を襲爵し貴族院議員に就任。また葬儀は佐賀藩出身の大隈重信が取り仕切った。

【百年ニュース】1921(大正10)6月10日(金) 旧肥前佐賀藩主の鍋島直大(74)が危篤状態となる。1861(文久元)16歳で父鍋島直正から佐賀藩主を継ぎ,1871(明治4)廃藩置県で佐賀藩知事となるが辞し,岩倉使節団に随行し米国と英国留学(オックスフォード)。のちイタリア公使となった。

【百年ニュース】1920(大正9)5月30日(日)渋谷の鍋島家農園で東洋婦人会主催の茶話会を開催。鍋島直大夫人栄子は東洋婦人会会長。松平恒雄夫妻はじめ華族や朝鮮台湾女子留学生ら50名程が初夏の陽気のもと集う。鍋島直大は佐賀藩第11代(最後)藩主。翌1921(大正10)年6月没。

【百年ニュース】1920(大正9)5月8日(土)鍋島直正(閑叟)の五十年祭(1871年逝去)。鍋島家の菩提寺である麻布賢崇寺での墓前祭に続き、永田町の鍋島直大侯爵本邸(現在の首相官邸の敷地)にて霊前祭。閑叟の孫である梨本宮守正王妃伊都子はじめ鍋島家関係者、大隈重信等旧佐賀藩関係者40名ほどが出席。

新刊『鹿鳴館の花は散らず』執筆裏話

【記事掲載】2021年8月27日「アーバンライフメトロ」(メディア・ヴァーグ)