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新刊『鹿鳴館の花は散らず』執筆裏話

 7月24日に新刊『鹿鳴館の花は散らず」が、四六版の単行本で発売になります。「鹿鳴館の花」と呼ばれた鍋島榮子(なべしまながこ)が主人公です。下の写真通りの美人ですが、それだけではなくて、鹿鳴館外交が失敗に終わった後、日本赤十字社の創成期に力を注いだ侯爵夫人です。
 フランス語で「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。「貴族が果たすべき役割」というような意味ですが、まさに、それを成し遂げた人といえます。

鍋島榮子
鍋島榮子

 鍋島榮子を書こうと思ったのは、見ず知らずの日赤広報の方が、私のブログに書き込みをしてくださったことが、そもそもの発端でした。当時、日赤本社の展示室で、赤十字の歴史の企画展が開かれており、それを「見に来ませんか」というお誘いを頂いただいたのです。
 明治時代に日本赤十字社を設立したのは、佐野常民という旧佐賀藩士。私は、すでに幕末の佐賀藩に関わる歴史小説を2冊、出版しており、佐賀にある佐野常民の記念館には、何度か行ったことがありました。彼と赤十字の関係も、いちおうは知っていました。
 でも佐賀関係で2冊も書いただけに、今さら佐野常民という気がして、お誘いにも、正直、あまり気乗りしませんでした。でも、その広報の方が私のファンだというし、せっかく誘ってくださったのに、すげなくするのも何だかなあという気がして、ノコノコ出かけていったのです。
 でも行ってよかった!

赤十字の端が美しい日赤本社のホール

 展示を拝見し、広報の方の説明を受けて、鍋島榮子について知りました。もしかしたら名前くらいは知っていたかもしれませんが、「え? こんな美人で、こんな業績のある人が、なんで無名なの?」と驚いた記憶があります。 
 その後、たまたま佐賀県庁の方が取材のサポートを申し出てくれたり、雑誌で鍋島榮子を書く機会があったり。そのうえ佐賀に行ってみると、鍋島家のミュージアムで、栄子のドレスや赤十字の制服の実物を見せていただけたりで、それまでの私の人脈が意外なところで繋がって、なんだか眼の前で、どんどん勝手に扉が開いていく感じがありました。
 鍋島栄子の実家は廣橋という京都の公家で、最初の結婚相手は岩倉具視の長男。でも彼が早世したために、岩倉具視の勧めで、最後の佐賀藩主だった鍋島直大(なおひろ)と再婚したのです。直大の方も、最初の妻に先立たれて、再婚同士でした。
 その後、鹿鳴館外交や赤十字の活動に尽力するかたわら、一男三女に恵まれ、末娘が会津松平家に嫁ぎました。そこで生まれた長女、つまり栄子の孫娘が、長じてから秩父宮の勢津子妃殿下になりました。会津松平家の娘が昭和天皇の直弟に嫁いだことで、戊辰戦争で朝敵にされた会津が、ようやく復権できたと言われています。
 その辺のことは、すでに拙作『大正の后』で書きましたが、勢津子妃が鍋島家の孫娘だということは、今回の『鹿鳴館の花は散らず』の下調べをするまで、迂闊なことに気づきませんでした。
 岩倉具視や会津松平家など、幕末明治のそうそうたる人物やドラマが、鍋島榮子の周囲に散らばっていて、それをたどっていくだけでも面白いと感じて、小説にした次第です。
 今回、日赤の広報の方はもとより、佐賀県庁の方、県立図書館の方、ミュージアムの方、そして版元であるPHP研究所の編集者など、ずいぶん色々な方にお世話になりました。それが何故か、ひとり残らず女性。鍋島栄子は日本における女性の社会進出の嚆矢みたいな人だから、はからずも、そんな結果になったのかな。
 でも男性読者にも楽しんでいただける内容です。本屋さんで見かけたら、ぜひ1冊、連れて帰ってくださいませ。もちろんネットの書店でも。

PHP研究所より7/24発売

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