形式上の役割と実際上の役割って、どんなケースでも違って存在するのではないか。その矛盾を現実、森羅万象の中で、上手く認められた組織が確かな成長を遂げる。それには《撥》という背き合いを、良い競争として取り入れる工夫と、譲りあう受容の精神を、神業のように使いわけられることかもしれない。
陰謀論は「陰謀っぽい論議」であり、陰謀そのものではない、これは明らかだ。ならば、陰謀論は本命にたどり着くための途上、方便、介添え、テーゼ、アンチテーゼである可能性が高く、邪険にすべきではない、これも明らかだ。本命の集合は陰謀じみて見えるのが常だ。注文が多い時代では特に。
性差は必定ではない。これまではそうだっただけ。 役割分担は絶対ではない。なんでかうまくいってただけ。 自由奔放でうまくいく時期もあれば、 擦り合わせが必要な時期もある。 人がそれを政治・経済と呼んでいるだけ。 われわれは上下無辺のダイナミックさの中にいる。 市民のお役人化