「正解のない問題」を扱っていると自認しながら、実際には「正解のある問題」を出していることに気づかないケースがある。 自らはコンフォートゾーンにとどまりながら相手には(発達という視点を欠いた形で)変容を強いることで、自分が考える正解を複製する機械を生み出す行為と言えるかもしれない。
知識人は「知らないこと」を『知らない』と言える。整形外科医に脳梗塞について尋ねても、『私の専門外だから、脳外科医に聞け』と言う。 高校までは「正解のある問題」を教師から学ぶ。大学からは「正解のない問題」を自分で勉強し考えて答えを出す。 「思考の整理学」という本が参考になると思う。