天文17年(1548)2月14日は武田晴信(信玄)が上田原の戦いで村上義清に大敗した日。晴信の傅役・板垣信方や甘利虎泰など多くの将兵を失った。晴信にとって初の敗北といわれる戦。越前の朝倉宗滴は名将とは一度大敗北を喫した者だという。成長のためのエネルギーは失敗ということでしょうか。
天文17年(1548)2月14日は武田晴信(信玄)が上田原の戦いで北信濃・葛尾城の村上義清に敗れた日。父信虎時代から仕えた晴信の傅役・板垣信方や甘利虎泰など約700人が戦死し晴信自身も負傷したといわれる。この敗戦は順調に進んできた晴信の信濃侵攻作戦でのはじめてのつまづきだった。