日本人は数の論理こそが力だと聞くが、数の論理は数が多ければその政策や意見の中身があまり問われずに通ってしまうという危険極まる側面がある むしろ数があるだけでここまで流されてしまうのは日本人の最大の欠陥ではないかと思う できることなら数の論理を「破れる」論理を作り出せたらと思う
日本国民独特の感覚が米軍に実権を握られて主権を亡くしたことに繋がっている 抽象的な表現が多く、誤解を生じやすい日本語 計画的な備えや対策よりも、我慢と成り行きで乗り切る災害史観 寄合の社会故にもめごとを避けたがり、長期的な思考や計画性に欠けて短絡的にしか考えが巡らないこと
自然言語は各々の国の文化を代表する行ける遺産としての側面を持っている 母国の慣れ親しんだ言葉から、多様な連想を次々と呼び起こすことができる 効率を優先した人工言語ではこのような連想も厚みも持ち合わせることできない 薄ぺらな言葉は意味が壊れやすく、伸びしろがないのである
今の日本で関心が無い人を集めたりすることは難しい 関心がある人は既に知識や価値観を持っている場合が多く、新たな知見や異なるアプローチに対して反発心を覚えることが多い 関心がある人もない人も話しを平常に行うのが困難を極めると言える 日本人の不寛容さはどうやったら是正できるのか?
日本人は異なる意見を受け入れられないという民主主義として致命的な欠点を抱えている 核となるものはわずかでも異なれば、それを受け入れれるように柔軟に対応することはかなりの困難を極めると思う この根本的な問題を解決しないことには政権交代も政策転換も不可能だと自分は考えている
日本の民主主義がうまくいかないのは、異なる意見を受け入れる歴史を持っていないからだ。顔見知り民主主義だった日本人は全会一致を前提とした話し合いしか知らず、全会一致以外を認めようとしなかった 異なる意見を受けれ入れらない背景には日本人特有の不安感の強さというのもあると思う
仲間や団体を作るから動けなくなる。皆が一人で戦った方がいい 合理的な部分はあるが、自分のような不安に弱い人が多い日本人に一人で戦えというのは無理難題だと思う 日本人は「公」の感覚が無いため個人主義に走れば本当に自分のことしか考えなくなる。暴走の可能性の方が高いと思う
良識と徳のある人が政治家になって消費税廃止や積極財政をやる以外に日本が復活する道はない。それをやれる可能性は雀の涙でできもしないことを盲信することになるのではないか? 市民に公徳というものを理解できる力が無い以上、市民がそんな政治家を選ぶ可能性はとことん低いはずだし
子育ては人間を育てるということで最もわかりやすい事柄だと言える 日本人の器の小ささを考慮すると、複雑で長いものはどれほどメリットがあっても受け入れられないと思う 器に広さが無くては、どれほどの魅力を用意してもほぼ意味がない 器を鍛えるためにも器に収まる事柄を選ぶのも大切だ
ただ耳心地のいい夢ならば、現実とのギャップさは埋められず、最後は空虚な虚言に終わる。今の日本は環境が最悪すぎてまともな人の考えが封殺され壊されてしまうようなマイナスをえぐりぬき続けているような悪条件下だ 夢や理由以上に、現実と理想とのギャップさを埋まる手を考えたほうがいいと思う
なんか大きな使命や価値を与えられなければいけないのか? 人類のシナリオとか大きな目線で見ればとか、わかりそうにないことを分かった風に話されることが非常に胡散臭く感じる ふわふわした当てつけも人によっては筋のある話になってしまう 我々はとかく、物語に流されやすい
短絡に陥らず、清濁併せ呑み、最大限の効果を狙った使い方を目指すことができる 恵まれた土地柄の日本人には自らの思考の積み重ねで今までになかったことができる可能性が生まれるという感覚が乏しいのかもしれない 足るを知ると言えば聞こえはいいが、思考停止はやはり罪だと考えている
日本人は楽観主義になりやすく、0百思想にも至りやすい。それは日本人はギャンブルという単純なものを好みやすいということかもしれない 森永卓郎さんが現在の日本人は投資依存症だと述べていた。投資に依存しやすい気質をそもそも日本人は持っていると思う
答えの出ない問題に取り組むことは大変だが、大事なことを教えてくれる 一方で間違っていることがわかりきっている問題が未だに解決しないのが常駐化している日本は先にこちらをやるべきだと言える 最も基本的な人間としての生きる必要なことができていないのに応用や高次元を目指そうというのは違う
日本人に必要なのはかつての文化や歴史を取り戻すだけではなく、過去に乗り越えられなかった限界を乗り越えることもある 日本人がかつてないほどの公としての意識を育てられない以上、どんなにわかりやすい理屈や多くを助ける意見が出てきたとしても、救われる側がそれを受け入れないと思う
格差を広げるアメリカのやり方を盲目的にまねしてきた日本 自分たちの都合のいいプロパガンダをいくらでも垂れ流し、人々を都合よく操作する。人を人と思わないようなこと平然と行う人がいることがいまだに信じられない日本人 平和主義による人間過信と楽観主義。騙される原因はここにあると思う
正直、数の論理が国民の生活を一番に考える政府に向かわせる方に発揮されるのはほぼほぼないと考えている 日本には目覚めることのないゾンビがあふれており、ゾンビに説法を説いても聞き入れてくれるわけがない自分は考えている ゾンビが多数であり投票権を持っている以上、正常な意見は通らない
無知の無知。喪失したことさえも喪失した。けれど、失ったところに穴埋めがなされたわけではなく、その悪影響は未だに続いている 日本人の事なかれ主義は自らが死ぬような事態が迫っていても続くくらいに深刻なものだと思う 生きる意思なきものが増えすぎてしまった中生きたいものはどうすれば
精神の自立性が社会の公共時代にのみ問題にされ、不況のときにはぜいたくな問題として魅力を失うという、この我が風土特性ほど、何より精神の自立をしていないという事実を物語るものはない 日本人は12歳児だといわれてしまうのは精神の自立を基本にしようという姿勢が欠けているからではないか?
醜く、重苦しい現実から逃げ、ありもしない無難さや保身を求めることに躍起になっていることの幼稚ぶり。 己を騙すことで自らを不安定化させ被害者を装う二枚舌 日本人はどこまでもに醜い現実から逃げ続け、そこから未だに抜け出せていない 逃げてきたことを反省し、克服しなければ日本に未来はない
現実否認。思考停止。自己欺瞞。偽善止まり。責任放棄。平和依存。被害者意識依存。責任と反省から逃げ続けることをやめられない幼稚な思考 自らを絶対に肯定してくれるなどというありもしないものがないと生きることができない子供のままでいつまでも大人になろうとしない 日本人の問題は根深い
日本人は危機に際して「起きて困ることは、起こらないことにする」悪癖がある 都合の悪くなる展開や想定を超えた事態に対して想像することを拒否しやすい 見たくないところ、ずさんに考えているところをとにかく否認したがり、思考停止による否認がなければ意見を言うことさえできない
https://youtu.be/XJvbPq_CUN0?si=bTCA10mKojJF2SR6 なぜ、頭がいい人がおかしなことを言うのか?それは人間としての感性が抜け落ちていて理論をゆがんだ形でしか使えないからではないか? 人間としての感覚は理論では補完できない。替えのきかない部品が抜けている機会は正しく機能しないのだ
今の日本人は平板な常套句に頼りすぎていないか? 本来かつ現実多様な物事や人々を定型句という言葉でまとめて知ったかぶりを行い。定義づけることで理解できていると驕っていないか? 略語や流行語に流され、手っ取り早いひとまとめな言い方で思考したと思い込んでいないか?言葉の深さを再考したい
迷いというのは必ずしも断つべきことなのか?ないほうがいいのか? 迷いの感覚は道徳的な贈り物であるという意見がある 迷いは足を引っ張るとか目を曇らすとか否定的なとらえ方が多いと思うが 迷いとは現状に違和感や疑念を持つから生まれるもの。蓋をしてしまうのは自らを否定することでもある
日本が頑張って自衛官に社会的地位を与えて、自衛官の処遇も一般公務員にプラスアルファを作る気概が独立には必要。軍人の処遇が一般公務員より劣っているのは、日本だけ 自国を守ってくれる自国軍に敬意と感謝をささげるのは日本以外のすべての国の常識である
言葉に魂が宿る。ほかの言葉には置き換えられない固有性を持つものとして立ち現れる。というのは特定の文脈の中の話だということである。どの文脈も横断して、実態としての魂が超然と存在するわけではない。 文脈の背景・タイミング・トーンの言葉が表情や響きをもって人間の前に立ち現れることだ
言葉の魂の哲学を読んでいる アスペクト盲というものをウィトゲンシュタインというものが述べていた アスペクトとは日本語では相貌とか表情と訳するのが適当と思われるらしい 言葉に込めていた意味や形が壊れただの音響に聞こえてしまうものをアスペクト盲というらしい
広い視野と長い目線を持っていないと今の自分の判断に依存することになる そうなれば、どうあがいても理屈をこねても自己保身を最優先に置き、周りだけでなく自分自身も最後には不幸に追いやることになる 今の日本人ほど広い視野と長い目線をもたず、浅い考えにとどまっているものはいない
日本人は強制されるのが嫌い。だが、強制ではなく洗脳なら受け入れてしまう 洗脳を解くために正しいことを強制されるのは嫌うから、洗脳状態を延々と続けてしまう 結果自ら不幸にひた走り、自らを省みようとしない 皆で一緒に不幸になる道が最も愚かである 愚かさを痛感しないと前へは進めない