大河ドラマの毛利元就って、義興と経久の話はよく聞くんだけど義隆や晴久や肝心の元就の話はあんまり聞かないような気がする。気のせいだろうか。とりあえず動画でちょっとだけ見たけど確かに義興には謎の迫力がある。
永禄12年(1569)10月12日は大内輝弘が大内家再興のため大友氏の兵を率い山口に侵入した日。父高弘が伯父義興へ謀反し大友氏のもとへ亡命していた。北九州で大友軍と対峙していた毛利軍が引き返し25日に輝弘が自害して鎮圧。大内氏は名実共に滅亡し毛利氏は北九州から撤退するきっかけに。
明応4年(1495)9月18日は応仁の乱で西軍主力だった大内政弘が死去した日。直前の8月に「喧嘩御定法事」を含む「大内家壁書」が制定。喧嘩は自力救済が常識で集団紛争から社会的混乱を招いた。大名権力による成敗が定められやがて喧嘩両成敗に。ルールが決まり当たり前が変わるのでしょうか。