113濃尾の祭神的特徴:三明神(国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊)を祀り、列島創生神イザナギ・イザナミをどの地域よりも突出して多く祀る。そして、何よりも「天照国照彦」天火明の妃、子、孫など関係諸神をあちこちで体系的に祀っている。神社(祭神)分布を素直に見れば、弥生初期国家形成は濃尾。
103祓戸四神:記紀では正体がわからない①瀬織津比売、②速開都比売、③気吹戸主、④速佐須良比売の四神。実体は、①天火明命妃、②ニギハヤヒ母、③天火明命母、④天火明命妻(ニギハヤヒ妹)。四神は、ニギハヤヒ・ウマシマチ(物部)親子の犯した罪を祓い、天火明命を鎮める役目を負う。
112邪馬台国と濃尾:108で大(夜神族)+和(昼神族)=邪馬台、その主力は尾張族と書いた。学問は、纏向土器の約半分が濃尾系であるのに大和中心史観(日本的中華思想)ゆえに同族を奴隷と説くが、もっと素直に見るべき。そうすると、大和政権成立前は濃尾が中心であった事が自然に見えてくる。
017超古代史:ゼカリア・シッチン氏(シュメール語研究者)は、太陽系が描かれた石板から、シュメール文明は宇宙(ニビル星)人と地球人が混血して生まれた、BC2千年核で滅びたと説く。聖書との整合性を強調したが、今日、翻訳方法、惑星衝突に関する天文学、神話直解の点で強い批判がある。
098神道原初神:国常立尊(天御中主神)は、陰陽分かれ葦牙姿で誕生。五徳を有す。次に、【水徳】国狭槌尊、続いて【火徳】豊雲野神、以下、【木徳】泥瓊・沙土泥瓊尊、【金徳】大戸之道・大苫邊尊、【土徳】面足尊・惶根尊を生む。つまり、水→火→木→金→土徳神の順。「神皇正統記」北畠親房。
ーNote登録二か月回顧ー今年11月下旬に登録。連日2~3古代史つぶやき発信。2週間目にフォロワーが一気に増えましたが、これはビッギナーズラック。日本神話などの素養がないと親しみにくい内容という事もあってか、ひと月でフォロワーはほぼ半減。めげず地道に中身ある記事を投稿方向で。
096阿蘇ピンク(馬門)石:古墳の石棺に使用。愛智神話では、天火明命・越乃沼河姫ー建御名方神・八坂海戸姫ー健磐龍命・阿蘇津姫→阿蘇氏を伝える。同石を使う古墳は、天火明命、建御名方神系譜の重要人物とみる事ができる。植山(橿原)、今城塚(高槻)、築山(瀬戸内)、甲山(野洲)各古墳他。
110古代祭祀女王系譜:卑弥呼=日巫女王であれば、日神本流・天火明命系譜上の人物でなければならない。同系譜に、妹千用魂、子香久山姫、五十鈴依姫、孫玉依姫、香久戸姫…⑦孫大倭久邇阿禮姫、⑧倭迹迹日女命千々姫、⑨倭迹迹日百襲姫命、⑩息長水依日女、⑪息長帯比売命、⑫宮簀媛がある。
027半島では、円筒埴輪文化圏が製鉄国家:大伽耶領域とされている。奇しくも、大和(備前)前方後円墳文化の特徴は、円筒埴輪列。古墳前期の濃尾は前方後「方」墳(弥生:方形周溝墓)主流で壺埴輪文化。大伽耶の伽耶琴も有名。秦酒公は、琴音で過ちをさとさせる試み(紀:雄略天皇十二年十月条)。
108大和と書いて「やまと」と読む。3C中頃成立した大和政権は、「昼は人夜は神が造った」箸墓古墳を端緒とする。要は、日神(倭)族+月星(大=多)族の合同政権で、それが邪馬台(国)である事を教えている。日神(天孫)族が渡来である事を思えば、邪馬台の源は大和建設主力の尾張族と思える。
029人心乱れ切った中国の戦国時代を生きた孔子は、「(聖王が政する)東夷に住みたい」(「子欲居九夷。」「君子居之,何陋之有?」論語卷之五子罕第九之十四)と語った。この東(九)夷とは、海洋系太陽信仰族の箕子朝鮮(番韓)のこと。東夷族王は、平和で豊かな国造りを実践していた事が知れる。
107額田部2:推古天皇(豊御食炊屋姫)の諱は「額田」部王。厩戸(≒宇土)豊聡耳皇子が補佐。凡海氏に養育を受けた天武天皇の和風諡号は、「渟中」原瀛真人。同天皇が恋した鏡王女「額田」部姫王。船運(海洋、宇土)族額田部の存在は大きい。鏡=加賀見=蛇神(海洋)族。豊宇気毘売神=宇土族。
106額田部。大和川諸支流合流地、九州宇土半島他に展開。船運族である事は明白。同部族の源(弥生)を考えると、西九州には伽耶族渡来伝承、「ノ」(野、能)地名がしばしば伽耶族開拓地(野槌=草野姫=かやのひめ)であること等を念頭に置くと、野槌=野加身(神)→野上≒額田の転訛と思える。
114阿多(大山祇、南倭)神の神木は「楠」。熱田神宮の大楠に棲む白蛇に対して毎朝卵が供えられている。ちなみに、下知我麻社(本星崎)は、尾張氏母神:真敷刀俾と共に薩摩(阿多)の地をニニギに譲った伊奈突智老翁(塩土老翁=事勝国勝長狭神)を祭っている。宗像(スサノオ、北倭)神は「杉」。
034記紀に卑弥呼の記事がないのは、中国に付けられた蔑称所以ではない。その代々の祭祀女王が統治男王(天皇家)と血脈が異なり、往古においては前者の方が格上だったからだ。私見だが、その女王はおしなべて天火明命の血筋にある。魏志の卑弥呼はその⑧臺與は⑨、そして日本武尊妻:宮簀媛が⑫孫。
011 文献で古代に迫ろうとするとき、読みやすいこの書物から初めてみてください。新井白石「古史通」(古代史通になるには)。同書で彼は、神は人なり(実際に生きた歴史上の人物)、古語は字義(ほとんど付会になる)に依らず音意を追求すべしと説いています。私の草枕古代史の基本スタンスです。
取材005猿投に武田信玄墓伝承。周囲を見渡せる物見山があり、ここで天火明命を祭り、多度大社(天目一箇神)の元宮がある。ホツマ伝は、天火明命⑫孫宮簀媛と日本武尊の子を武田王、信玄をその子孫とし、愛智神話は天火明命孫天村雲命=「(天)目一」としている。勝頼が自刃した天目山は此処か?
111<二派の古代海洋族>イザナギ・イザナミ嫡子:火之迦具土神を祭る愛宕神社と秋葉神社。前者は阿多子だから阿多隼人(大山祇神)族系、後者は「秋津」神名が見られる大海祇(→スサノオ)神系譜と思える。日本を「秋津洲」と呼ぶのは後者の文化だろう。大祓神でもあるから罪を犯した可能性大。
005大物主=大国主和魂(ニギミタマ)=ニギハヤヒ、大国主荒魂=天火明命。ともに大国主。前者が「和」、後者が「荒」と表現される点に古代史を解く重要な鍵がある。荒神は濃尾、関東、東北に多い。
046スサノオの四魂を祭る津島大社の境内四摂社。荒御魂(蛇毒)神社、和御魂(蘇民)社、柏樹社(奇御魂)、居森社(幸御魂)。私見では、スサノオの子と配偶者の神社と判断。荒=子:天火明命、和=子:ニギハヤヒ、奇=妻:奇稲田姫、幸=子:須世理姫(ニギハヤヒ妹、天火明命妃)。いかが?
036日本書紀は、濃尾主神:天火明命に関して、ニニギ(皇孫)の第3子&尾張連等始祖(神代下第八段本文)、一書云2では第2子、同3では第1子と説く。ニニギと栲幡千千姫命の子という位置にある(古事記同)。新撰姓氏録では「天孫」、ホツマ伝は兄:天火明命、弟:ニニギと異系統にしている。
032濃尾を流れる三大河川は西から揖斐川、長良川、木曽川。中央の長良川が当地の古代特性を教える。長良は「蛇(海洋系太陽信仰)族国」の意。上流、中流、下流に蛇神:天「香香」背男を祭る神社が分布し、中・下流に長良地名がある。中心の位置に「各」務、「那加」がある。ここで天火明命を祭る。
023大伽耶始祖は伊珍阿豉(悩窒朱日)。近くに伽耶山があって、周辺にはスサノオ(牛頭天王)降臨伝承がある。日本書紀には「新羅の曾尸茂梨」に降臨したとあるが、元々の降臨地は旧称牛頭(伽耶)山と見るのが自然。伊賀は伊族(邑)の意だから、大伽耶族開拓地と思える。*大国主(=伊和大神)
084五十猛尊(スサノオ長子)は植林神?日本書紀に「天降之時、多將樹種而下、然不殖韓地、盡以持歸。遂始自筑紫凡大八洲國之內、莫不播殖而成靑山焉。」とあるので一般にそう言われている。酸(鉄)性土壌を好む椿、ツツジが紅葉する所「鉄」アリなのだから、植物を活用した鉱物探索神だ。
104太陽が宿る扶桑樹:三星堆遺跡の青銅神樹(BC1100頃、1986発掘、h4m弱)の枝に九羽の霊鳥(太陽)。扶桑=東海にある不老不死の国。天帝の妻羲和が十の太陽を生んだが、一度に上がったので日照りになったので、羿に九の太陽を射落とした(「山海経」大荒南経)。愛知に扶桑町。
081天忍穂耳はスサノオ。則稱之曰「正哉吾勝。」故因名之曰勝速日天忍穗耳尊(書紀神代上第五段一書云③)。スサノオ【尊】が、「正に私が勝った」と言って「勝速日天忍穗耳尊」というとの記事がある。スサノオも天忍穂耳も【尊】→天忍穂耳はスサノオの別名。天穂日命以下の五子は「~命」。
取材001稲作発祥菜畠遺跡(末盧館)。技術力の高い組織的な稲作遺跡なので弥生集落と思い込んで見学に行ったが、なんとそこは縄文集落だった。元々縄文時代に熱帯aponicaを陸韜栽培していたことは今日判明している。本格的に栽培された温帯JaponicaのDNA元は長江周辺。倭族地。
105修験の地は古代探鉱地:古代山岳(探鉱神)信仰が神仏習合を経て密教化した。高野山には、修験の源:役行者の祖が「穴から出てきた尾ある光人」井光であることを伝える系図がある(桜本坊)。なので、~不動という聖地は、おしなべて古代探鉱(低温製鉄)族が展開した足跡を探求してみたい。
025山城地域に、祇園元宮(スサノオ)、水主神社(天火明命)、そして秦氏創建(伊奈利と稱ふは「秦」中家忌寸等が遠つ祖「山城国風土記」)で天火明命異母兄弟の宇迦御魂(稲荷)神を祭る伏見稲荷神社が存在、一帯は大伽耶族開拓地と言えそう。大伽耶の元は、彌烏「邪馬」国。彌烏=大倭→大和。
取材003伊勢遺跡(守山市)現説、12/10(土)AM10:00。当時としては大建築である王居を取り囲む円形祭祀遺跡(全国唯一)。この遺跡は、居住遺跡ではなく、統治王と祭祀の遺跡だから正に「政庁」といえるが、突然消滅し相応の遺物が全く出土しない。その後、大和に纏向遺跡が誕生。
018ウル第三王朝の円筒印章に、向かって左:蛇地母神、中央:七枝樹、右:牡牛王が表現されている。王朝が、在地蛇(=海洋)族と天神:牡牛(畑作牧畜)族で形成されている事を象徴していると思う。ちなみに、日本神話は、左目:アマテラス、鼻(中央)スサノオ、右目:月読命。両神話に共通性。
取材004 播磨国風土記講座:12/14講師:光田和伸氏(国文学者) 演題:「王権創生」は書き込まれているか?スサノオと大歳神 。加西市周辺は、大歳(ニギハヤヒ)の神社が濃厚に分布。興味深いテーマ。
092日月統合(明)の源:中国原初神は伏羲(太昊)&女媧で雌雄蛇(海洋系太陽信仰族)の交合姿。他方で、黄河(牧畜・畑作)族の源は黄帝(有「熊」氏)。その子:少昊(西方・金徳・龍)は、東夷族長の娘を娶って太昊の徳を継ぎ、黄河(月=熊)族&南方(太陽=蛇)族を統合した。百官を鳥名に。
取材003列島でも半島でも消えていた伽耶。1990年代に開発が進み、次々と遺跡が発見された。伽耶諸国の歴史を知らずして弥生(≒天孫)族は語れない。衝撃を受けたこの本がボクの原点。「伽耶は日本のルーツ」澤田洋太郎:新泉社1994年。特に、大伽耶、安羅・多羅、金官、比自㶱に注目。
067日本精神(妹背「いもせ」)に添う生き様。砂漠を緑に変えた医師:中村哲氏。「だれもそこに行いかないから、私たちが行いくのです。だれもしないことだから、私たちがするのです」「今いる場所で、 自分にできることを一生懸命に」「一隅(いちぐう)を照てらす」。これぞ日本人の鏡。
091大山祇神女:木花開耶姫(神吾田鹿葦津姫):阿志都彌神社(高島市)の祭神。同社南の安曇川中心として南近江に安曇族が展開。吾田鹿葦津→阿志都彌→安曇。神玉・山津美ー姉:岩長姫、妹:天道日女という系譜から、木花開耶姫=天道日女(天火明命妃)と言える。従って、安曇族は親天火明命。
039濃尾の中心神:天火明命の神名の意味。「天」は、倭王姓「阿毎」の音転表現で天神降臨(北方族思考形態)を反映している。「火」は、鍛冶・製鉄神。「明」は、日(太陽)=昼神族と月族=夜神族統合の統治者→「天照国照」=天地統合神である事を表現。箸墓古墳は「昼は人、夜は神」が造った。
035実在天皇について、日本の実証主義アカデミズムは、㉑雄略→⑮応神→⑩崇神天皇と見解を変えてきたが、未だに②綏靖~⑨開化天皇までは不在としている。その主根拠は記事の少なさだが、それは、記紀が、天皇系譜において母系の出雲色、天火明命にふれたくなかったからだ。欠史八代説克服が必要。
021中国神話:天帝と羲和の間に十子の金烏(太陽)があったが、一度に現れるようになって地上が灼熱地獄となったので、羌族の羿(ゲイ)に弓で九つの太陽を射落とさせた。これが射日神事の元と思われる。であれば、当該神社催事(祭神)は、夜神(非太陽族)文化と考えることができる。
073鰐=和邇=倭(東夷)族。和邇良神社(春日井市)を「カニラ」と読む。北方はkwha「カ」、南方はk子音が落ちてwha「ワ」。従って、和=倭=和邇=丸(子)。各務原市に丸子地名(古墳群)があって、そこに「伊」木山がある。東隣が「可児」市(初期前方後方墳分布)。古縁を感じる。
071蟹(≒金)は伽耶族。可児市付近は、方形周溝墓から発達した初期前方後「方」墳が展開。木曽川辺に砂鉄が堆積し、土壌も鉄性。製鉄神:建御名方を囲むように「井」名の字が複数あり、これを「ゆ(湯)」と呼ぶ。そして、可児川には鬼(初期製鉄族)ヶ島がある。和邇(倭族)を「カニ」とも読む。
057美濃一宮:南宮大社(元は仲山金山彦神社)。一般に「国府の南に位置する宮」→南宮とされているが、諏訪神は「南方」と表現されるので「建御名方神」宮と思える。ちなみに、「南宮の本山は、信濃の国とぞ承るさぞ申す。美濃の国には中宮。」(梁塵秘抄262)。仲山は那加(海洋族)邑の意か?
028弥生(天孫)族は、ポートピープルでもなければ列島へ米を作りにきたわけでもない。金属生産・交易集団であった彼らは、ハゲ山化して燃料資源を喪失した半島に見切りをつけ、豊かで再生可能な森林資源と薬草、多様な鉄資源を有する列島へ、雄々しく渡来してきたという歴史認識に基本を置くべき。
002ニギハヤヒ(大歳)と天火明命(五十猛)は、大海祇神系譜スサノオの子で異母兄弟。前者は、母系タカミムスビ神(皇祖神)、後者は大山祇(阿多)神系譜(愛智神話)。熱田(阿多)神宮がある濃尾は、大山祇(阿多)神族地。だから、母系にその血筋を持つ天火明が中心神となる。
024スサノオ神を祭る祇園神社。興味深いことに、その元宮は息長氏の祖先神を祭り、神社名は大伽耶始祖似。この点から、スサノオ、息長氏が大伽耶王族系譜であるという貴重なヒントが得られる。そして、近くにスサノオの子:天火明命代々の子孫を祭る水主神社がある。神社は黙して古を語る。
051「熊」トーテム。古くは、黄帝(有熊氏)まで遡る。その子:少昊金天氏(熊族)が東夷部族長の娘を娶って東夷(鳥族)王にもなった。同氏の子孫が諸伽耶王(天孫族)→官帽、巫女の背に羽をつける。「熊」野神社主神がスサノオという事は、イザナギやスサノオが少昊金天氏系譜である事を示唆。
026稲荷3万社の総社:伏見稲荷大社中社の祭神は、佐田彦大神(=猿田彦)。同じ大伽耶(スサノオ)族だから、後渡来天孫族の「導き神」扱いされたと思える。同社特徴の朱色は、扶余五部族制度における南部の色。南部は灌奴部(→神奈備)とも言われた。南の神は「朱」雀。水夫=水主=加古。
022太陽(南方系海洋)族のトーテムは太陽神使の鳥。東夷族をまとめた少昊金天氏は百官に鳥名をつけた。子孫は、張、尹、己、梁、「秦」、譚、「徐」、黄、江、李、趙、修。金官伽耶始祖:首露王は少昊金天氏系譜。六金卵譚で語られる諸加耶王に、徐≒秦氏の可能性を見出す事ができる。
093中国・朝鮮・日本神話:華夏族の原点は、黄帝(有「熊」氏)、子の少昊が東夷(鳥)族をまとめる。朝鮮(北扶余)は、天帝桓因の庶子桓雄が神市を創建り、「熊」女を娶って生んだ檀君王倹が始祖。少昊金天氏子孫(亀、鳥)が、狗邪韓国に降臨して伽耶諸国誕生。同諸国が弥生主流(天孫)族。