慶長19年(1614)12月23日は大坂冬の陣の和議により徳川方が大坂城の堀の取り壊しを始めた日。3日前に成立した和議の条件に従った。名将言行録の逸話では大坂城は力攻めでなく調停して2度目でなければ落ちないと秀吉が自慢したことを世間は忘れ自分は覚えていただけと家康は語っている。