わたしは情緒不安定というより、いつも底すれすれのぐちゃぐちゃだ。疲れるよ。あした死ねたらいいのにね。体はどんどん不自由に、知り合いが死んでゆくのを送らねばならぬ。長生きしていいことが見つからない。悲しいばっかり。苦痛なく安全に殺してほしいのですよ。そうしたら将来への心配が消える。
わたしは生きるのに飽きた。命が嫌い。社会のための犠牲となる死に方をしたい。わたしの気持ちは腐った。吐き気にまみれてかわいそう。二度と起きたくない。わたしの臓器と財産を寄付するシステムの安楽死制度を夢見る。生きている間にかないそうもなくてうんざりだ。苦痛が少なきゃ殺されるのもいい。
世界にも日本にも、あした食べる物がないっていう人々がいると聞く。そうとは言わぬまでも、働かないと生活費がない人が大多数らしい。不公平にもほどがある。そういう人にお金を譲ってわたしはさっさと死にたい。わたしは生きる必要がないし、何も望まない。いらない命の処分について協議してほしい。
強い人間だけが生きるべき。だからわたしは死んだ方がいい。この体から臓器を取れば、5人くらいが命を繋げるんじゃないか。臓器提供のマッチングは個人間でできないから、安楽死かつ臓器提供希望者の登録サイトが整備されなければならない。10年待ってもできまい。中国に渡って法輪功に入ろうか。
吐き気がして、段ボールのごみをまとめるのが嫌だ。死ぬ気になればできるんだろうが、そこまで重要な作業ではない。だるくてだるくてかなわぬ。胃が口から出そう。生きていなけりゃ、ごみも出ないのに。嫌だなぁ、嫌だなぁ。胴体が重苦しい。1千万円くらいでかんたんに死なせてもらえたらいいのにね。
自殺志願者が望む新しい安楽死制度は茨の道。安楽死は、社会に必要ないとされる命を奪う制度だった歴史を持つ。「殺したい対象がいる側」が、人々や動物を殺す手段にしてきた。一方で、死にたい人が安全に死ぬ権利をほしがっている。安楽死制度で殺される側に回る可能性のある人は混同し怯える。
嫌な嫌な気分。吐き気がする。生きたくなくて、おもしろくない動画を見て時間を殺す。うんざりする。そのうちおなかがすいてしまう。衣服も布団も臭い。部屋はかびでいっぱい。憂うつだ。どうかあしたが来ませんように。この願いは何千回と黙殺されてきた。苦痛を感じず失敗もなく死なせてほしい。
吐き気に殺される。つらくてならない。あしたの夕ごはんのために下ごしらえをしたい。体が言うことを聞かない。胃が重たい。苦しい。涙が出る。関節は痛いし、どんなに時間があっても、横になって耐えるだけ。つらい。疲れが取れない。もう十分に戦った。わたしは生きなくていい。何もいらない。
嫌な嫌な朝がきてしまった。生きることが大嫌い。元気な赤ん坊を産むことのないわたしに生きる価値はない。暗い気持ち。関節が痛い。上半身がだるくてどうにもならぬ。吐き気がする。空腹が進んでしまう。食べたら買わにゃならんけん。社会の中でも家族にとってもいらんわたしは殺されればいいのにね。