足りないことや劣っていることに目が向いてしまうなら、 足りていることへ視点を変えてみましょう。 美意識は心の豊かさに繋がります。
正解が一つだと思うと心を閉ざしてしまいます。 人の考え方には無数にあり、それぞれに違った価値があるのです。 比較評価をやめればオープンなり、たくさんの価値に触れることができるでしょう。
幸せは未来からやってくるものではなく、今ある種が花開いたときに感じることかもしれません。 その小さな種は自分だけのもの。大切に育てていきましょう。
自分だけのリズムを掴みましょう。 自分に合わない調子の中では、パフォーマンスが上がらないものです。 自分のリズムを探すことは、自分独自の音を奏でることと同じなのです。
不安になると人は味方を探してしまうもの。 自分の外の世界に味方を増やしたいばかりになり、自分自身が自分のことを疎かにしてませんか。 信念をしっかりと育てていくことです。
誰しも自分自身の理想像はあるでしょう。 そしてそれは、自分らしさを探して彷徨うことでもあるかもしれません。 簡単には見えない、潜在的なものへ向き合い続けていくしかないのです。
慎重な人は、誰かに後押ししてもらうのを待ってしまうことがあります。 でも決断をする力は持っているのです。必要なのは、一歩を踏み出す自分の意思なのです。
足しても足しても何か物足りなく感じるのは、余分なものが多いからかも知れません。 不要な器を満たそうとしていませんか? 本当に必要なものだけを残して、根本から引き算をする。大事なものがみえてきます。
過去や未来に囚われていれば今を見失う。 今だけ良ければ過去と未来に申し訳が立たぬ。
正解の数よりも、答えを自分で導き出すこと自体に価値があります。 導き出す過程には間違うこともあるでしょう。誤りを修正しながら進む、そのこと自体が学びなのです。
高い目標を実現することは、高く険しい山に登るのと似ています。 最初はゆっくりと一歩ずつ踏み締めながら進みましょう。 一歩一歩の実感が、進む勢いを与えてくれるでしょう。
忍耐強さを本当の強さと勘違いしていませんか。 ありのままの自分を受け入れず、感情を抑えていると自分を無くしてしまいます。 本当の強さは、自分の感情に素直になることにより見えてくるものです。
そもそも、自然の中には境界線は引かれていないのです。 人間が一方的に線引きしているだけなのです。
子どもは純粋な目で世界を見ます。 大人が余計な解釈を加えなくても自分で学びとる力があるのです。 それはズルい大人達の振る舞いを見破る力でもあるのです。
自分の弱さは見せたく無いものです。 弱さを認めることは、勇気を伴います。 弱さを認めた先にしか、見えない景色があります。
しがみつく者は、弱い自分を認められず、成長も出来ません。 手放す者は、弱い自分を受け入れ、新たな成長に向かいます。 手放す決断を下せますか?
曖昧さを持つのは、人が人であるが故に仕方ないこと。 それと、有った事を無かった事にすることとは全く別の問題です。 無罪放免とはいかないのです。
流れる水は腐りません。 何年も水が同じ場に留まればやがて濁り、腐ります。 小手先や目眩しでは放置出来ない汚れには覚悟が必要です。 透明に保つには入れ替えるしかありません。自分に誠実であるかどうか、試されています。
自分がワクワクしたこと、気持ちが良くなること。 自分だけが感じる感覚のなかに、自分だけの幸せの形があります。 幸せは誰かが指標を示してくれるものでは無いのです。
自分の姿は何かを通すことでしか知ることは出来ないのです。 そして常に変化していくので、ある瞬間を切り取る事しか出来ないのです。 強みも弱みも状況でどちらにも変わるのです。
何でも白黒つけようとする考え方が生きにくさを生むのです。 世の中はモノクロで出来ていません。 線引きをやめて、グレーゾーンの彩りに可能性を見出してみましょう。
幸せを感じたいなら、プロセスを大切にして、成果ばかりに目を向けないことです。 物事への向き合い方や態度、その時々の感情や行動に依るのです。 幸せとは動的なもので、静的ではないのです。
頭は元気でも身体が動かないときは身体に休息が必要です。 身体が元気でも頭がついていかないときは頭を休めること。 休養にはバランスが必要だと言えるでしょう。
遠くに尊大にみえるような夢も、憧れも、一歩を踏み出してみれば案外近くにあるものです。 誰でも一歩を踏み出す力があるのです。自分を信じましょう。
水に濡れないで、泳ぎを身につけることはできません。 大海原に出るにしても、ひとつずつ準備が必要です。
願えば未来はどんなものにでも変えられる。 過去の出来事から学ばない人にその重責を担うことは出来ない。
笑顔を忘れている人たちに、笑顔を与えよう。 言いたいことが言えないと、人は心を固く閉ざしてしまいます。 笑顔は心に着ている鎧を外すことができるのです。
期待しないで感謝する。 がっかりして失望することはなくなります。 いま在るものに目を向けてみれば、気づかないほどの宝が眠っているかもしれません。
自分にとって当たり前のことが、他人にも当てはまるとは限りません。 他人がやっているから、自分もやっていい、と思うのは早計です。 得てして、いい歳の大人の方がこれらを忘れています。
行動を起こせば人生が変わります。 ひとつひとつは小さくて変化を感じないかもしれません。 一人一人の見えない程の小さな行動が社会を動かしてきたのです。
人からどう見えるか、どう言われるかを気にしすぎて、自分らしさを隠してませんか? 自分からの見え方、感じ方を素直に表現してみましょう。 自分らしさに正解は無いのですら。
当事者意識を持てなくなったら、一線から引くべきです。 当事者意識を持てない人を最初から要職につけてはいけません。
当たり前のことが当たり前のように過ぎていく。 そこに有り難さを感じることができるなら、それが幸せの正体なのかも知れません。 だから幸せは掴めるものではないのでしょう。
自分が毎日体験することは、他人や自分が今まで体験したこととは異なる真新しいことです。 毎日のルーティンの中に好奇心の発揮を入れ込みましょう。
声を上げるとは。 多数派にとっての当たり前なことが常識的と言われたりします。 マイノリティはその常識が誤ったときに正せる役割があります。 あとは自分なら出来ると信じられるかどうかです。
他者に思いやりを求めず、まずは自分に向けることです。 多くの人は、自分を思いやれないと、他者への思いやりを向けるのは難しいものです。
先延ばしにして時期を逃す。 先を急ぎ過ぎても時期を逃す。 今することに集中する。 迷ったら、いまを問う事です。
どんなに待っても腐ったものが元に戻ることはない。 腐っているのが分かりながら認めないのは、芯まで腐り切っているからでしょう。
多くの人は過ぎたことは忘れるように出来ています。 しかし、技術開発により、記録を半永久的に残す事を可能にしました。 これにより、未解決の不都合や不誠実な事実は、永遠に追いかけてくる事になった、とも言えるのです。