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「人の好き嫌いが激しいよね」って言われた。コミュニケーションに難を感じた時に嫌い、と感じてた。辞めると腹決めしてから明確に見える。情報搾取の人、主張を投げつける人。今まではいい人しようとしていいとこ見ようとしてた。だがそれはもはや不要。無理して「いいとこ」見つけようとしなくていい

4か月前

『かくれ繊細さんの「やりたいこと」の見つけ方』ー自己分析ワーク

9か月前

懴悔(さんげ)仏様の光で闇をとかす、私の懴悔は「責任感」

あなたにとってイイ人の基準は?

1年前

この機能はこのように使うべき! でないと、ツールのポテンシャルを充分に発揮できないぞ ――みたいなお気持ちを表明する事自体、クリエイティブじゃないなあと思う 白髪ネギカッターでさえ『他にもこんな使い方あるよ!』と提案される時代だよ?

人生の交差点とは右見て左見て手を挙げて渡っても、ぶつかっちゃうときはぶつかってしまう それでも渡っていくぞと決めれば、向こう側に辿り着く 決めてしまえば、あとは淡々と

ふっかつのじゅもん

この世の不平等について

『ひとの役に立つモノを書け』 読まれなければ意味が無いというから、役立ちそうなことを懸命に探して書いた 結果は、ちっとも読まれなかった 私の「役立つ」と誰かのそれは必ずしも一致しない 鉄板ネタは既に何百万回と擦られてるし だから 『書きたいモノを書く』 これが一番だと断言する

恋愛を学ぶとは−1〜行動を起こそう〜

いわゆる「有益情報」ってのが書けない 私がやってる・できることなんて、世の中の大半は既にやってる 水を体重×40mlを目安に飲むこと 体の真ん中をストレッチする事 一週間の間に、合計で五時間歩くこと 白米を主食とすること 体調を整えるためにしてる だからどうした、でしょ??

『自己満足ですみません』 なんで謝るの? 自己満足の何が悪いのですか 自分自身すら満足させられないようなモノ それを他人様に届けることこそ失礼というものではないかしら 自己満足とは アナタがそれだけ作品に愛情を注いだって証 その愛情にケチ付ける人なんて ほっときゃいいのよ!

素晴らしい何かを誰かと共有したいとき、推薦する文書をしたためたりスピーチをしたりするわけだけど 何故、素晴らしいと思えば思うほど、陳腐な言葉しか出てこないんだろう ほんとに反吐が出る 台無しにしちゃってる すいません、精進します

カレー屋の看板で店をやってるけど、ご常連さん方にだけ、たまに賄の玉子かけご飯をお出しする 美味しいね!て言葉は嬉しいが…… 「今日カレーだけ?玉子かけご飯は?やってないの。ふーん、じゃ今日はいいか」 カレーも美味しいのにね サービスって難しいやね 私は両方美味しく頂きたい

この世に見開かれてるほとんどの『眼』は私に無関心だ そう思えば、気が楽になるし足取りも軽くなる ゆえに「見てる人は見てるよ」とか「お天道様はお見通しだよ」って、ばーちゃんたちの残した言葉がじわじわ効いてくるのよな 総じて 背筋を伸ばしつつ、大胆にいこうってさ

日課のアイデア出しをするために、メモ帳とペンを取り出し、コーヒーの入ったマグカップを台所から運んで、着席……したところで、ふと浮かんだ 「届ける」ばかり必死でやってきたけど、もっと「受け取る」誰かのこと信じてみれば? そうだなあ。私、信じるの下手くそかもしれんわね

デカい人生の悩み事はこの方に聞いてもらおうと思える先生は何人もいらしゃる が、それ以上に この方には絶対秘密を打ち明けたくない。という向きもある こういうタイプの見極め力が低く判断が遅い故、一先ず自己解決を考える癖がついた 何度もコケて見つけた鶏と卵どっちが先?的な防衛策

何をどう感じようと 受け取るも受け取らないのも その人の『勝手』だ 美しいと思うのも 汚い、醜いと思うのも 勝手にしたらいい だか、勝手を押し付けられるのは御免だ 私は、ね そういう押し付けで泥の中で藻掻いてるモノを モノが抱える輝きみたいなものを 書いてみたいと思ってる

弱ってる誰かを見てザマーミロと喜ぶ人間てのは、少なからず何処にでもいる だからね 踏ん張るのだ 少しずつでも前に進むんだ ザマーミロちゃんに餌などやらぬ

何をやっても褒められる子ってのがいるのに対し これくらいできて当然なので褒めない、と言われる子もいる 私だ 大人だけじゃない 子供同士でも、この風潮があった だからたまに褒められると、嬉しすぎて、恥ずかしかった その後 もっと褒めてもらおうと張り切り ケガするまでがお約束

流行ってるところを賑やかしに行くのは私がやらなくても良いかなって思ってる 誰も穿り返してない、苔だらけの地面をさ ダンゴムシにちょっと御免て言って いつどうやって埋めたかわかんない硝子とか 断面が綺麗な石とか 日の下に出してね そうやって拾ったモノで作り話を書くのが好き

アナタが望むものばかりを私が書いたとしても、私はアナタのためにだけ書いてる人ではないのだ 私はつねに 私が書きたいものを書き 読み返して、書き直して 私自身と私を通り過ぎた有象無象を楽しませ 繰り返し供養してるに過ぎない

真理とか正解とか成功とか どうしてそう手っ取り早く掴みたがるかな 変に真面目だから、ホンモノは一つ!て決めつけたがるし この世がそんなコンビニエンスにできてるなら 迷ったり悩んだりなんて、そもそもしないでしょうよ 他人様の真実はあくまで他人様のもの 流されちゃいかん

義務教育で読み書きをしっかり身に着けていれば「文章」は誰でもかける 伝えたいことがあるならば、書かざるをえなくなる 伝えたいことから逃げないこと 向き合って、見たくないことすらも観察すること 文字化された「それら」に、そもそも綺麗も汚いもあるのか? だから私は嫌われるのだな

苦手なものって克服してかないといけないのだろうか? 我慢して、合わせていかなきゃいけませんか? 苦手なものを苦手ですと表明する権利 私にもある……はずだと信じたい 打ち出していく勇気が欲しい 私にも、私にも、多様性の風は優しく吹いておくれだろうかね

サブスクリプションをnoteでやってみよう、のバナーがめちゃくちゃ気になってんだけど…… 果たして私にサブスクにできるようなネタってあるのか?てことなんだよね そこに躓いて今に至る ゆっくり考えるわ こういう時は「時間はたっぷりある!」と考える 気の持ちよう、なのだぜ

何かおかしい 何が?明確になってないけど、頭と心臓とペンを持つ手がちぐはぐというか、ともかく変容しているような アイデアががんがん湧き出る 言葉よりも先に心臓が納得する ペンが書こうとしてないものを書く 気持ち悪いけども 高揚している なんぞこれ??

一度ひっかかりをおぼえると、どうしても前に進めなくなる これはもう文字を読めるようになってからずーっと、コンプレックスになってる 猫の声は、鳴り響くのか? おっとりお姫様のささやきは、部屋中にこだまするのか? 広い心で楽しみなさいよ……とは自分でも思うけどさ 嗚呼

洋服からきものに着替える時間ももどかしい!みたいなここ数日 抱えてるタスクが多いんだよね……わかってんだ、頭では 一つ一つ、丁寧に畳んで送っていくしかないんだ がんばりまーす(-ω-)/

誰かが深く感銘を受けたり、心揺さぶられている横で どうしようもない吐き気やイライラを抱えてしまうことがある たいていは私の心の有り様が汚いってだけの話なんだけど たまにね 大きな誤謬を見つけて、それに耐えられないことがあるんだ 意識的になされるなら 詭弁てさ耐えられないのよ

から元気、てのを上手に使っていこう この効能は馬鹿にできないもんがある 「なんでこんなんなってんだろ」 と、落ち込む時 猫背になってないか? ごはん食べて美味しい!て感じてるか? 言葉の意味なんて無くていいから、腹の底から叫ぶ 口角あげてみる ちょっとでも楽しくなったら◎

これはもう愚痴だなあ ねえ、わかんなくなってきたよ 『イイね』てなんだ? イイと思ったから『イイね』じゃないの? 何に心揺さぶられての『イイね』なの? 面白い! 参考になったよ! 諸々アリガト(≧∀≦) 私はこれまでもこれからも イイ☆と思った『イイね』ちゃん で居たい

過ぎたるは猶及ばざるが如しを都合よく解釈してんじゃないかな? そういうケースを見かける 食べ過ぎ・容れ過ぎは勿論よくない けど 制限し「過ぎ」も毒になるんだ 何事も 用法と容量を守って 正しく、楽しく 適度に味わえば礎になる 『毒』だと思い込んでるのは自分だけかもよ

水・土・日はオンライン定休日ときめている 地下活動として本を読んだり映画観たり体をしっかり動かして、自分をメンテナンスする デジタルデトックスのことですね?て言われてもピンとこない んな洒落臭え言い方は性に合わねぇ昭和の生まれでござんすよ

全てを切り捨て、人生を一からやり直せるつもりでいた、あの日 オマエ、コレカラドウスンダ いつもは厳しく諭す人たちが遠巻きに、そう繰り返していた、あの日 私は今日も歩けてる 泣いてない そういう事をご報告するために あの日の今日、お祈りしてきた

無償の愛って尊い、とは思う 言葉でいうほど簡単じゃないしさ そんな尊い誰かの姿勢におんぶに抱っこ、してないか? いつかは他の誰かに『御恩送り』するぞと決めてからご厚意に甘えてみてもいいんじゃないか? 結果的に搾取する事にならないか? 私が考える、対価を払う意義ってそういう事

歴史を紐解く作業をするに当たり、気をつけるべきは主観で過去を断じないことだと思ってる 現代の価値観に染まってる自覚ないままに『昔』を語るのは、過去への侮辱では?と感じるのだ 過去へ擬似的に遡り当時の空気の中に降り立ちその『時』を一瞬生きる。先ずはそこから オハヨウゴザイマス

今日はエラい目にあった。マニュアル通りの仕事ができない人のポテンシャルは知ったことじゃないけれど、その仕事のフォローを私がやることになってしまう不思議 私、お客なのに😭 頭も痛いし 全部台風のせい 気圧のせいってことにしとこうか

信じるも信じないもアナタの自由、て話なのだけど 私、タイムラインに流れてくるnoteは全部読んでるんだよ

私は心が汚れているのだと思う 創作の都合、なるべくクリアな【視界】を保つよう心掛けているけど それでも拭えぬ汚れがあるんだ、たぶん だから妖異に出逢えぬのかもしれない 『癒』や『絆』という文字の乱舞を胡散臭い!と斬ってしまうのかもしれない

文書を読むって実は脳味噌の仕事量多い。文字を読み文法を分析して、理解の為に最適なイメージを構築。一時記憶もしないと 絵や音楽みたいに直感的な心の揺らぎを味わうこともあるけど、長文はそうもいかない 考える事を面倒くさく捉える人が多い世では小説って媒体は厳しい 怖い話は特に……

読むのは大好きだけど、書くのはぶっちゃけ好きじゃない。と仰る先生 そして、アホほど書くけどひとが書いた長文は読むのメンドクセと仰る知人 なるほどね 世には様々な人間がおるな! 私は読むのも書くもの好き。学んだので倒れたり吐いたりするまではやらなくなったけど

加筆修正すれば、内容は全く同じものではなくなる。故にどちらさんの「規格」に沿わせるならば、その手の作業は必須だ と、言葉にするのは容易いが 実際にやるとどんだけの時間と労力が必要か? 経験無いとわからないよね 今日も水面下で粛々と オハヨウゴザイマス

空腹に耐えられない私にとって 作った料理の記録を写真に残すってのはハードルが高い事を、いい加減認めなければならない 空になった器にハッとする朝を 何度も繰り返すなら 自分に合った記録方法を考えよう(T_T)

毎日陽気にきもの着て、猫を愛でて、ふざけた事ばっかり言ってて、羨ましい……ですって 正直、腹を立てたし落ち込んだ 私だって 愚痴も垂れ流すし 悪口も言う 巫山戯てるのは現実逃避でもある 実際、隠さずそうしてるのにな 人間は見たいものしか見ない説、信じることにする

日本のサービス過剰ぶりは今に始まったコトではないと思うけど、だがしかし 自分で調べ・考え・適切に選ぶ消費者が育たない環境ってどうなんだろうね? と、一消費者として 求める人のところに届くモノや仕組みは作りたいケド 大勢のニーズに応えるのは私じゃなくて良くない? そう思っちゃう

会話って、どうしてる? テレパシーじゃないよね? だったら、言葉で伝えることと言葉を受け取ることを学ばないとならない 気持ちを言葉にする、言葉を尽くす、読み取ったものから気持ちを推測する、それらは訓練できる 訓練した言葉を擦り合わせて理解し合うこと それが歩み寄り

知識が知恵として昇華されてないと、それをいざ文字化しましょう・実際に走らせてみましょうってなってもチンプンカンプンなものになる 御本人様がいくら納得してると仰っても 自分の言葉に変換するのは基本 その前に情報を自分判断でつまみ食いすんな 最初は頭から尻尾までとにかく食べてみ?

DIYは、真夏は控えたほうがいい(T_T) 熱中症になりやすいから 予防接種前も避けたほうがいい 腕がパンプアップされちゃうぞ 痛い、ぞ

昨日、小説って厳しい、つまり茨の道感あると書いたけど 5ハウス♑に☿☼♃が入っちゃってるし、散々筆を折りつつ戻って来ちゃうし もうジタバタしてもしょうがないなと思ってる。止めないので。休みは入れるけど