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長谷川未緒
2020年4月8日 18:42
大正14年、といってもぴんとこない人が多いかもしれない。1925年といったほうがわかりやすいか。いずれにしても大昔、うちのおばあちゃんは生まれた。 祖母が生まれ育った埼玉県川口市は、いまでは東京のベッドタウンとして住みたい町No. 1という調査結果もあるようだが、祖母が子どものころは鋳物の町として知られ、父方は鋳物工場を営んでいた。 家には住み込みの職人さんとねえやが大勢いて、オルガンと
2020年4月29日 17:56
祖母から結婚しろとかひ孫が見たいとか言われることはなかったが、たまに「いいひといないの?」と聞かれることはあった。30代、40代とたいがいの期間独りで生きてきたから、「いないねぇ」と答えるのが常だった。ある日、「婚活しないの?」と聞かれた。婚活というワードを使ってみたいだけだということがありありと伺える、おもしろ半分な聞き方だ。わたしは「あるよ」と答え、それまでにトライした婚活について話し
2020年4月20日 17:06
祖母はまめに料理をするひとだった。子どものころはお手伝いさんがいたし、娘時代は戦争中だったから、料理をはじめたのは結婚してから、本格的には離婚して飲み屋のおかみになってからだろう。 店ではメニューにないものも頼まれればなんでもつくった。本人曰く、川口あたりの飲み屋にしては、小洒落た料理を出すと評判だったそうだ。たしかにちょっとした煮物も飾り切りするなど見た目に気を配っていたし、餃子もシュウマ
2020年4月15日 20:29
大正14年生まれのおばあちゃんは新しもの好きだった。 わがやの電話が黒いダイヤル式だったとき、祖母宅の電話はプッシュ回線だった。テレビのチャンネルをがちゃがちゃ回していたころ、リモコンで変えていたし、VHSテープに録画したツイン・ピークスを最終話まで見終わる前に、DVDプレーヤーに変わっていた。 祖母はいつも「壊れた」と言って、家電を買い換えた。エアコン、冷蔵庫、掃除機、洗濯機、テレビ、
2020年4月11日 16:14
おばあちゃんは終戦の直前、結婚した。二十歳だった。「時代が時代でしょう? 腕組んで歩いてるだけで、非国民扱いされたんだよ。結婚してるのに」と聞いたとき、結婚するまで会ったこともなかった相手ではあったが、腕を組んで歩こうとするくらいには仲がよくなったのだな、と思ったものだった。 祖母は結婚の翌年、わたしの父を産んだ。時を同じくしてはじまったのが、夫の浮気だった。なぜ浮気をしていることがわか