勘九郎と勘太郎が踊る『連獅子』によせて。泉鏡花の小説から。
勘九郎と勘太郎が踊る『連獅子』は、親子ならではと思う。十八代目と勘九郎、十七代目と十八代目を観てきたけれど、中村屋ほど、親子で踊ることの愉悦を感じさせる『連獅子』はみつからない。
泉鏡花の小説に『朝湯』がある。
お能の世界を扱った小説を鏡花は、いくつも書いている。『歌行燈』は、久保田万太郎の巧みな劇化もあって、もっともよく知られている。『朝湯』もまた、お能の家で不始末をしでかした男と芸者の色恋を描いている。
もっとも、私の関心は、この芸者の旦那十内と、大先生の豆府老のやりとりにある。今は、歌舞伎座と新橋演舞場に挟まれている采女橋をふたりは歩いている。お弟子の十内は、大先生に『連獅子』を番組にとりあげてほしいとねだっている。
「あゝ、いや、連獅子という謡ものは別にないので。……石橋とおなじさね。−−普通は獅子一頭の處を、赤頭を連れて、白で立ちます。それを連獅子と言ふんだが、石橋はその許ご存知だーーあの(大きりんの獅子頭)とある處を(大きりんの連獅子)を謡ふ、たゞそれだけが違うんだね」
と、軽く十内をいなしている。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。