シェア
長谷部浩
2024年9月8日 16:43
播磨屋と秀山祭 時が過ぎるたびに二代目吉右衛門の役者としての大きさが胸に迫る。 秀山祭九月大歌舞伎の夜の部は、歌舞伎の代表的な演目が並んだ。なかでも、『妹背山婦女庭訓』の吉野川は、仮花道を使った劇場そのものが桜満開の吉野を写す。重厚な義太夫狂言だけに、そうそう出せる演目ではない。 歌舞伎座の立女形として重い位置にある玉三郎が、あとに続く役者のために、歌舞伎のあるべき姿を示す舞台となった
2024年4月6日 15:19
コロナ期の歌舞伎座を支えたのは、仁左衛門、玉三郎、猿之助だったと私は考えている。猿之助がしばらくの間、歌舞伎を留守にして、いまなお仁左衛門、玉三郎が懸命に舞台を勤めている。その事実に胸を打たれる。 四月歌舞伎座夜の部は、四世南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で幕を開ける。土手のお六、鬼門の喜兵衛と、ふたりの役名が本名題を飾る。 今回は序幕の柳島妙見の場が出た。この
2023年3月12日 20:16
なぜここまで暗い芝居をあえて舞台にのせるのか。 吉井勇作、坂東玉三郎演出、今井豊茂補綴の『髑髏尼』を観て、正直いっていぶかしく思った。 吉井勇の作は、大正六年。風変わりな歌舞伎が好まれた時代の初演である。筋書によると、玉三郎は昭和三十七年に、六代目歌右衛門の髑髏尼、十七代目勘三郎の七兵衛と平重衡で上演された舞台が目に残っていると語っている。今回の舞台は、幼い頃に観たこの特異な上演を、玉三
2021年4月6日 18:31
歌舞伎では、一座を代表する女方を、畏敬もって立女方(たておやま ルビ)と呼ぶ。 六代目歌右衛門、七代目梅幸、四代目雀右衛門、七代目芝翫は、歌舞伎座の立女方にふさわしい威光を放っていた。玉三郎は、歌舞伎座のさよなら公演のあたりから、その名に、ふさわしい存在だと私は思っていた。 詳しい事情はわからないけれども、いつの間にか、特別舞踊公演などの独自の公演が増え、重い演目の役を勤める機会が少なく