「200字の書評」(351) 2023.9.25
こんにちは。
ここ数日待望の雨が降り、少ししのぎやすくなりました。今朝はかなり涼しく散歩では長袖を着ました。暑さは去るかどうかまだ疑問、コロナは猖獗を極め、インフルエンザも蔓延とか。不安が募る暑い秋です。コロナワクチンの追加接種の通知が届きました。サアーどうする。
さて、今回の書評は社会での自立と自律を考えてみました。
斎藤幸平+松本卓也 編「コモンの『自治』論」集英社 2023年
コモンとは自治を再認識し、広く力を集めて実現する営みである。資本主義が地球上を覆い尽くし、富の偏重が極まっている。専門分野を異にする7人の論者の提起は、現代を撃っている。特に印象的だったのは、戦前農本主義を主唱し、テロの思想的指導者に擬される権藤成卿の主張には見るべき自治論があるとの、藤原辰史の主張であった。自治とはまさに平等の貫徹であり、自立した人々により試行錯誤しつつ育てるものであろうか。
【長月雑感】
▼ 9月18日は敬老の日だったらしい。昭和の人間は15日がその日だと思い込んでいる。それはさておき、65歳以上の高齢者は(65歳は果たして高齢者として一括りにしてよいのかは疑問だが)総人口の29.1%を占め、さらに80歳以上の人は1259万人で10.1%になるという。つまり人口のほぼ3割は高齢者で、10人に1人は80歳以上ということになる。世界にも稀な高齢者の国である。自分もこの仲間になって思うのだが、時代の推移により随分世相が変わってきたな、ということである。加齢とともに体力知力が低下している。世間では、人情や感覚が優しさを失い薄っぺらになってきたように思う。戦後世代にとって昔はよかったという思いではなく、進歩した面と否定的な側面を冷静に見つめる年齢に達したことを意味するのかもしれない。「戦後」そのものを生きてきただけに、平和と繁栄の時代の表と裏が身についている。24時間戦い続けたモーレツ社員、変革に青春をかけた者たち、垂れ流された公害に人生を狂わされた人々、それぞれの人生を否定的ではなくあり得た事実として受け止めたい。老人にはその人なりの歴史が刻まれていて、その有機的集合体が国民の歴史となる。
▼ 東京駅前のビル工事現場での死傷事故は驚きだった。時々利用する羽田行きの空港バスは首都高の高層ビルの谷間を縫うように走る。随所に工事現場が発見できる、高さを競っているようだ。巨大工事に見合うだけの人員は確保できているのだろうか。元土建屋としては気になっていた。工事には事前の周到な準備と、その内容に見合った人員が必要なのだ。見えないけれどその裾野の広さと要員の数は、工事の巨大さに比例する。小さな工事しか請け負えない零細企業だったけれど、それくらいはわかる。笑われるかもしれないけれど、現場では一種の勘も大事で、「なんか変だ」「チョット待て」「図面通りでは収まらないぞ」といった非科学的な経験と直感が働く場合がある。コンピューターの画面とは次元の違う勘働きが事故と失敗を回避できることもある。経営者と現場を仕切る技術者(施工管理技士)は現場の数をこなし、実際に土を踏み土質含水比を確かめ、鉄筋鉄骨に触れ品質を確認し、コンクリートの練り具合と強度を確認する。さらに作業員の様子と雰囲気にも気を配ることによって培われるのだろう。
▼ もしかして例の現場には「チョット待てよ」と感じるベテラン作業員はいなかったのかも。事故で死傷した5人は孫請けの作業員、ゼネコンを頂点とする重層構造がそこにはある。この5人は恐らく高所鳶と呼ばれる職人だろう。大林組大成建設のJVなので工事事務所にはゼネコンの技術者は常駐している、実際の作業は躯体工事を担当する1次下請けを中心に、土工、型枠、鉄骨、設備、電気などの工種ごとに2次3次の下請けが配されている。資材を釣り上げるクレーン業者も別なはず。とにかく膨大な業者がいて、それを作業ごとに整理して工程管理をするのが工事事務所の役割。期日に追われて安全管理はおろそかでなかったのかが問われる。工程、工事計画に無理はなかったのか。例の事故の詳細はいずれ解明されるだろうが、犯罪捜査としての刑事事件だけではなく、現場を熟知した叡智を備えた現場技術者と研究者によって検証されることを望む。以前には高速道路改修工事での橋桁落下事故があったばかり。経験重ね危険を嗅ぎ取る臭覚を備えたプロの作業員がいなくなったのかもしれない。コンピューターとは別な景色があるはず。
▼ NHKの「解体キングダム」を良く観ている。敷地一杯で隣接するビルとはわずかな隙間しかないビルの解体はスリリング。橋や高速道路の解体には細心の注意が求められる。現場での工夫と苦闘が興味深い。説明者は元請の技術者だが実際の施工は下請けの専門業者。現場で働くのはヘルメットも装備も違う作業員であり、稼働しているのは別会社の重機。これが工事現場の現実。工法など興味深いので見入っているのだが、ゲスト的に登場する建築アイドル、1級建築士資格を持つ女優などの振る舞いには違和感を感じる。ただ「ワー、キャー、すごい」を連発するのみ。工事の意味やその構造、人の配置、残材の処理などへ注意を向けることはない。出演する意味が解らない。
皆さんも近くの工事現場やテレビで映像を見る場合、業者ごとに違う色とりどりのヘルメットと服装装備の違いなど、重層構造に目を向けてほしい。
<今週の本棚>
戦前回帰の政治状況です。どうも不安が募る、その正体を探ろうと、再読再再読してみました。
白井聡「永続敗戦論」太田出版 2013年
日本は本当に独立国なのか、対米従属を国是とした体制を所与のものとして肯定し、米国の思惑を窺いそれを前提に権力者であろうとする心性は何だろうか。それは、戦後を終わらせようとしないことである。ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」に通ずる自虐的な生き方であり、それによって権力の座にあることを許されるといった、まことに情けない権力構造を著者は厳しく断罪する。戦後の国体とは天皇の位置に、米国があるとする歪みを突いた著者の「国体論」の指摘は鮮烈。戦後は終わらないどころか、新たな戦前が待ち構えている。
半村良「不可触領域/軍靴の響き」徳間文庫 2023年
かなり若い頃「妖星伝」「産霊山秘録」「石の血脈」など半村良の伝奇小説をドキドキしながら読んでいた。その著者が政治とその背景としての歴史に切り込み、警鐘を鳴らす小説群が文庫化され、再び手に取ってみた。1970年代の作品群だが、古さを感じさせない、現代の政治と軍備増強を予言したかのような現実感がある。「軍靴の響き」には南西諸島での自衛隊展開と米軍との一体化を見る時リアリティーが感じられ、静かにしかし確実に進行する呪われし歴史の影が恐怖感をもって迫ってくる。半村良という稀代の作家の凄さがここにはある。
★徘徊老人日誌★
9月某日 車で都内大森へ。犬を飼いたいという孫娘の熱望により、保護犬活動をしているNPOのもとへ候補の犬を見に行く。気に入った様子、仮飼育扱いでケージに入れ家に持ち帰る。今やワンコに夢中、家庭の雰囲気も良いらしい。犬には癒しの効果があるようだ。嬉しい半面、チョット寂しいジイチャンでした。
9月某日 定点観測をしている家がある。いつも本を借りに行っている図書館分室の向かいの家である。その家は住民不在なのか、ツタが伸び玄関先まで草が生い茂っていた。庭(と思しき一角)に車が置いてある。通るたびに草の密度が増し、ツタが覆う面積が大きくなって家の輪郭がわかりにくくなっていく。ついに駐車中のクルマはほとんど呑みこまれてしまい、意識的に見なければ存在はわからない。自然が人間界の工作物に襲いかかり、勝利していく様子を見ている徘徊老人でした。
9月某日 新発売「寅さん」シリーズ1巻目をDVDで観る。涙が出るほど大笑い。マドンナ光本幸子の思わせぶりに寅さんにいたく同情。次回のマドンナは吉永小百合、これは買わねば。いそいそと本屋さんに注文。届けてくれた本屋さんと小百合ちゃん論議で大盛り上がり。サユリスト老人たちの救いがたさです。
9月某日 道端にひと群れのコスモスを発見、秋を見た感じで嬉しくなる。
お知らせ
前回9月10付の書評は350回目でした。改めて驚いています。ほぼ10年書き継いできて(一部は拙著に収録)この数に達したのは、拙文を読んでくださった皆様のお陰です。時には感想を寄せてくださったり、次はこんな本を、とご教示くださったり励みになりました。一方的に送りつけているのに有難いことと思っております。始めたころは不定期で思いついたままに送信していましたが、ここ数年は毎月10日と25日の2回刊になっています。これが私の生活リズムになりました。本を選ぶ楽しみ、新しい世界が広がる喜び。もちろん玉石混交ですが、それぞれの魅力と存在感はあります。
つらつら振り返って、キリの良いところで今後を考えてみるべきではなかろうかと、思い始めた次第です。その様な訳で、次号10月10日号は送信しません。漂い始めた秋の風情を道連れに、北への旅を楽しんできます。
インフルエンザ季節外れの大流行、臨時休校も複数発生しているとか。コロナ新株は既に主流となり、第9波となっています。5類移行を理由に感染者数やその状況はつぶさに知らされません。民には知らせない方針なのでしょう。政府厚労省の役割を問いたいところです。どうぞお気を付けください。
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