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「200字の書評」(363) 2024.7.25


こんにちは。
暑中お見舞い申し上げます。

異常気象とそれに輪をかけた異常政治に翻弄されているうちに、2024年は半分が過ぎ去っています。元日の能登半島地震は、禍々しい年になるぞとの天の啓示だったのでしょうか。平和と生活の安寧を心から望みます。

さて、今回の書評は地球上の命について考えてみます。


千葉聡「ダーウィンの呪い」講談社現代新書 2024年

高校の生物でダーウィンの進化論は、ビーグル号での航海とともに真理であると印象付けられた。彼の真意とは離れて、人間や社会の進歩を進化論に根拠を求め、それが優生学へとつながった時、悲劇が歴史に刻まれる。20世紀にはいり、アメリカでの優性思想から学んだドイツではユダヤ人絶滅が実行される。白人の人種的優位を潜ませつつ、序列化と規範を単純化する似非科学の横行は、進化というダーウィンの呪いがある、と警告する。


<今月の本棚>

斎藤美奈子「あなたの代わりに読みました」朝日新聞出版 2024年

寸鉄人を刺すという言葉がある。まさに斎藤の書評はそれにあたる。作品の中には問題意識と文意が不明確で、流れの悪いのもあるがそれを見逃さない。そこには毒を含んだユーモアと、著者へのほのかな敬意が同居している。駄文を書き散らしている身としては、はなはだ耳に痛い、イヤイヤ目が渋くなる一書だ。斎藤は「読書は昨日を省み、明日を生きるための糧である。」と記す。同感である。

小林憲正「生命と非生命のあいだ」講談社ブルーバックス 2024年

理系は苦手でありながら、ブルーバックスにはつい手が伸びる。書店に行っても図書館でも、その棚を探している。地球の生命はいつ誕生し、その大元は何だったのか。生命のもとになるアミノ酸が形成されたんぱく質につながる条件は整うのか。それは地球上なのか。それとも宇宙から飛来したのか。宇宙探査の成果にも論議が及ぶ。論争は喧しい。宇宙人待望派としては興味津々。読み進めると、無機質と有機物の関係、つまり生命と非生命の境はどこにあるのかも問われていることがわかる。ウーン?

エマニュエル・トッド「大分断 教育がもたらす階級化社会」PHP新書 2020年

民主主義の機能不全とグローバル化の趨勢に強い危機感を示す。分断と階層分化には、教育特に高等教育の大衆化が大きな要素であると、警鐘を鳴らしている。自由貿易の名のもとに展開されるのは、強国大国が一層強大化し、それはグローバル企業が国民国家の枠を超えて肥大化していく恐れでもある。しかも各国民国家では、持てる者と持たざる者の格差が拡大し、思想的にも分断が進行する。EUのあり方にも鋭い問題提起をしている。

松村圭一郎「くらしのアナーキズム」ミシマ社 2021年 (再読)

私の好む言葉に”あわい”がある。ほどほどの間隔、ガチっとした決まりではない一定の曖昧さなどがその意味である。本書で松村は厳格な理論的背景や強い国家権力、あるいは強制的な法規制とは違う、一種の自治自律が持つ社会的な在り方を提示している。そんな社会があり、生き方があったはずだと、研究フィールドであるエチオピアの例を引いて示している。先達のアナーキストたちへの思いも豊かだ。何気ない暮らしの中の素朴な民主主義、そこには宮本常一「失われた日本人」に通底するものがあるのではないか。2年前(318)に読み取れなかった意味が見えてきた。

松本清張「閉じた海」中央公論新社 2024年

全集未収録の中短編といくつかのエッセイが収められている。往年の迫力と展開に欠けているような気がする。むしろ評論家、作家との対談では清張らしい反骨精神が随所にあり、論壇や評論に対する鋭い突込みが面白い。

堤未果「国民の違和感は9割正しい」PHP新書 2024年

何か変だなと思うばかりの日常である。能登半島地震の被災者への救援の手が届くのは、何故こんなに遅いのだろうか。 食糧危機と言われながら水田が草ぼうぼうになったり、畑や山林が建売住宅になってしまったり。再生可能エネルギーの美名のもとに、太陽光発電パネルが無軌道に増え、土砂崩れを引き起こすなど公害にもなりかねない。ここにも一種の利権構造が発生しているのではないのか。また、政治資金を規制すべきの声が満ちても、ざる法が国会を通過したりと倫理観と国民の感性とはかけ離れた 政治が日常化している。その違和感の正体を著者は解明してくれる。メディアの大勢に流されず、やはり天の邪鬼でいたいと思う。


【文月雑感】

▼ 最高裁は旧優性保護法を違憲と判断した。政府に及び腰の最高裁が、行政府と立法府を断罪したのは画期的だ。憲法81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」この条文は重い。三権分立といいながら、このところ行政権の肥大が目立っている。特にアベ政権以降は閣議決定を乱発して、国会審議さえ回避している。遅ればせながら、一石を投ずるこの判決は貴重である。憲法99条改めて読もう「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」とある。私たちは公務員に就職する際憲法を遵守する旨の宣誓をしている。アベはじめ同類の輩はすべてこれに反しているのだ。厳しく断罪すべきと思う。

▼ 沖縄は日本ではないのだろうか。日米軍事同盟の下、米軍基地の重圧がかかる沖縄では米兵による性被害が相次いでいる。それを警察、外務省は沖縄県に通知していないという。植民地的境遇に置かれている地の住民は日本国憲法下で法の下の平等は享受できないということであろう。かつて歌った「沖縄を返せ」ではなく、この地を「沖縄に返せ」と歌うべきだろう。元もとは琉球王国という独立国家だったのだから。同様の事態は米軍基地のある他県でも発生していて、警察外務省は公表せず、県側にも報告していない。いったい何を恐れているのだろうか。植民地根性丸出しの情けなさであろう。米兵は占領軍の意識なのだろう。

▼ 注目の都知事選、緑のタヌキの化かしにヤラレタ感がある。公務と称して補助金バラマキ、広報類への露出、メディア利用などが露骨であった。一方では記者会見、候補者同士の討論会には応ぜず、学歴詐称疑惑などをスルーしてしまった。専門家が様々な分析をするであろうが、選挙がショー化して論議の深まりが無しになりSNSなどを活用した空中戦でよいのだろうか。顰蹙を買う掲示板問題を奇貨として、公権力による規制が強まり、自由と公正が失われることを恐れる。20世紀のような保守革新の対立軸の明確な選挙戦は期待できないのだろうか。2位につけた候補は若さとSNSを駆使して一躍時の人となっている。具体的な政策はほとんど語らず、既成政治勢力への不信を語り、扇情的に熱狂を掻き立てているように見受けられた彼の選挙参謀には自民党本部事務局の選挙担当者が参画していたとの情報もある。。選挙後のメディアの迎合的な対応は、以前橋下らを持ち上げた既視感がある。同時にこの人物は相手を見てマウントをとるという、悪しき性格ではなかろうか。

▼ ウクライナ戦争、ガザのジェノサイドに関する報道が減少しているように見受けられる。アメリカ大統領選挙の行方は大問題だが、現実に無辜の民が逃げまどい子供たちも犠牲になっている事実がある。メディアは伝え続ける責務があると思うのだが。ウクライナは米ロ代理戦争の様相を呈し、NATOが前面に出ようとしている。それに同調する日本は危うい。殺戮を続けるイスラエルの背後にはアメリカがあり、戦争の陰にはおぞましい大国が常に控えているのは醜悪である。日本を含む西欧諸国の偽善ぶりも見え隠れしている。戦争の背後には軍需産業や、グローバル企業の利権の臭いも漂ってくるのだが。平和を国是とする我が国は、米国の走狗となって台湾有事など軽挙妄動に走らぬことを切望する。

▼ 東海道新幹線が終日運休。夏休みの初頭の事態に困惑が広がる。原因は夜間作業中の保守車両の事故によるとのこと。安全と定時運行を誇る新幹線の事故、実態の解明が待たれる。続いては伊豆七島行きの高速船が故障により運行不能となり、曳航されて22時間後に大島岡田港に接岸したとの報。これまた夏休みの入口。もしかすると事故に至らぬ些細な支障が起きているのかもしれない。安全神話の日本で何か小さな不具合が積もり始めているのではないかと危惧する。現場で働く者とその直感を大切にしない、数字だけで考える傾向、利益至上主義など、しっくりこないことによる不安が胸をよぎる。


☆徘徊老人日誌☆

7月某日 銀座7丁目ライオンビアホールへ。例の不良老人の会。降り注ぐ強い日差しの下、闊歩する外人観光客をかき分けて息も絶え絶えに昔の青年は店に辿り着く。北海道から飛行機で駆けつけたツワモノT岡氏の顔もあり、一杯の生ビールが命の水になり、いつものように呑み語りあう。本日の出席者は5名、顔ぶれが寂しい。常連I石氏は親族の葬儀で急遽札幌へ、常連A木氏は外せない仕事が入ったとやら、常連M井氏は母上の危険な状況が継続中。そんな訳で一回り小さな会となっている。それでも盛り上がりは例の如し、少々メートルが上がり世を憂い侃々諤々。楽しい時間が過ぎるのは早い。また次回の再会を約してライオンを後にする。ツワモノたちは銀座の雑踏に消えていった。帰路は駅からの道はヨタヨタ。暑さに負け気味だった。

7月某日 太極拳仲間との昼食会。30年以上もともに練習を続けてきたメンバーには程よい連帯感が生まれ、ジジババになればなったなりの話題がある。生ビールのほろ酔い加減で健康の話、夫あるいは妻との関係、年金の話など話題は盛りだくさん。人望のある指導者だったN島氏は欠席、少々気になる。教室が解散してからもう4年、体がなまってしまうと、嘆きの声も。「生きているうちにまた会おう」に衆議一決、12月に設定。

7月某日 まだ明けやらぬ早朝、駅前からの空港バスに乗る。亡き友の法事。法事といっても彼は神道なので10年祭と称する神事である。10年前の訃報にはただただ驚愕し、全身脱力感に襲われた。力が抜け空虚感に満たされる。そんな思いを抱えて飛行機の座席に身を委ねる。飛行機は観光客でほぼ満席。釧路空港にはH部夫妻が迎えに来てくれていた。友の家では準備滞りなく、祭主R子夫人と家族兄弟10数名、親しい友人4人が参列した。玉串奉奠では胸に迫るものがあった。思いは虚空をめぐり「早過ぎたぞ!」と心の声。霧の都釧路は低温、早朝夜分は長袖に薄手の上着が丁度よい。翌日友人の好意で借りた車で市内を回る。お世話になったK山元教授宅を訪ね夫妻と3時間ほど語る。その後数か所を経て、お気に入りの米町公園へ。市街地を一望でき、はるか湿原の彼方雌雄の阿寒岳を望むことができる。まさに一望千里。眼下の港内には巻き網船団が数グループ、白い船体の海上保安部巡視船が停泊し、海上に目を転ずると貨物船が10隻ほど沖がかりしている。さらに翌日、高校以来の友人であり誠実の人F井君が迎えに来て、厚岸方面のドライブ。太平洋を望む恋人たちの聖地愛冠岬(あいかっぷみさき)で喜寿の爺さんが二人、愛を誓う鐘を鳴らすのは愛嬌。昼には名産の牡蠣とホタテを炭火で楽しみ、たっぷりと昔話に花を咲かせた。高校時代の秘話にも大笑い。往時行きかう人も車も勢いのあった繁華街は面影はなく、歩行者はまばら駅前はシャッター街と化している。でも故郷、友人知人たちと思い出を共有したいとの思いを強くした。帰路は例によって釧路発特急「おおぞら」に乗り、南千歳で乗り換えて新千歳空港。南千歳のホームでは、空港から民間機とは別な金属的な轟音が響いてきた。千歳はF15を擁する航空自衛隊基地であり、スクランブルに備えていることを思い出させてくれた。随分昔の話だが待合室でのこと、騒がしいロビーが一瞬静まったかと思うと、つんざくような轟音が響き渡り空港ビルが揺れるような衝撃が走った。滑走路からは戦闘機が2機フルパワーで飛び上がっていった。F15によるスクランブルだった。のどかさと同居する現実を垣間見たのだった。夕方の羽田空港は一雨あった模様で蒸し暑さに閉口。また戻りたくなったほど。汗にまみれる日常がそこにはあった。高速バスは首都高では折からの渋滞に巻き込まれたものの、無事坂戸に帰着した。


梅雨の実感がないままに、梅雨明け宣言されました。猛暑日が続きそうです。私どもの周辺には高齢者が取り巻いています。高温と湿度には気をつけましょう。学校は夏休み、巷では子どもたちの姿を多く見かけるようになってきました。水の事故も心配されます、同時に路上での事故も心配です。高齢者の交通事故が報じられると、他人事ではないとわが身を振り返ってしまいます。お互い衰えを自覚してご用心!!ご用心!!

★暑くて熱い8月が目前、8月には格別な思いがあります。来月号(364)は8月15日号として送信するつもりです。歴史が修正されようとしている昨今、Uターン禁止の思いを届けます。★

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