見出し画像

あの戦争を現実味のある過去へ|中島京子『小さいおうち』

本を開くだけで、ここではないどこかへ出かけられる。
そんな「物語の旅」は、読書の醍醐味だ。

子供の頃から、物語の中でも、海外小説やファンタジー、歴史・時代小説が好きだった。

物語の舞台は、自分が生きている「いま、ここ」の延長線上にあるよりも、「海外」、「空想の世界」、「過去」である方が、旅感が強くなる。

どうも子供の頃から、私はここではないどこかへ行くこと、「旅」というものを強く欲していたようだ。


ところで、江戸時代などを舞台にした「時代小説」は、過去は過去でも、昔過ぎてファンタジーに近い。

一方で私の祖父母の世代が生きていた、第2次世界大戦のようなそこまで遠くない過去が舞台だと、ファンタジーとは感じない。

でも私自身は経験していないから、その時代をなかなか身近には感じられない、というのが正直なところだった。

けれどあの時代を生きた人々が亡くなることも増える中で、何となく、これでいいのだろうかとも思っていた。

そんな頃に出会ったのが『小さいおうち』だった。

昭和6年、田舎から出てきたタキは、美しい時子奥様のもとで女中として働き始める。その後タキちゃんもご家族と一緒に、赤い屋根が印象的な「小さいおうち」で暮らすようになるのだが、段々と戦争の足音が近づいてきて・・・という物語。

女中であるタキちゃんの目線から、この小さいおうちでの日々の暮らしやエピソードが淡々と語られていく。

時代は少しずつ戦争へと進んでいくのだが、しかし教科書に出てくるような出来事が、タキちゃんや時子さんにも重大事だったとは限らない。逆に、教科書には出てこない、私が知らなかったような行事や出来事が、当時の人々には一大事だったりする。

とにかく、語られていくエピソードがとても個人的で、日常的なものであるがゆえに、読み進めるほどに、だんだんと、自分もタキちゃんと一緒に小さいおうちで暮らしているかのような気になってくる。

そうやってタキちゃんや時子さんという、その時を生きていたふつうの人の目線から見ることで、私は初めてこの時代にリアルさを感じた。

いつの間にか、少しずつ、人々の暮らしに戦争の影響が及んでいく。
そして戦争中であっても、人々は日々の暮らしを営み続ける。


戦争の影をほとんど感じない時代から彼らの暮らしを見ているからこそ、戦争というものの残酷さをひしひしと感じる。


だがこの物語では、戦争とは別に、彼らの日常を揺るがすようなもう1つ別の事件が進んでいく。
これがこの物語を、何度も読み返したくさせる。

最後に残される、1つの謎と紙芝居。

それが意味するところが何なのかが気になって、再びこの本を読む。
でも何度読んでも、この謎に明確な答えはない。

けれど答えが分からないからこそ、もう一度考えてみたくて、定期的に読み返し、そして読み返すたびに、この時代と物語の世界により深く没入できるようになる。

今でも、この時代を生きた人々と戦争について、たぶん私は、本当の所を分かっていない。

けれど『小さいおうち』は、私にとって他人事だったこの時代を、少なくとも「現実味のある過去」へと変えてくれた。

それは先の戦争についてのどんな授業などよりも、私の心の中に深く残り続けている。

『小さいおうち』は間違いなく、忘れられない大事な本や、何度でも読み返したい本だけを並べる、今はまだない、私のこれからの本棚に並べたい1冊だ。


なお、『小さいおうち』は山田洋二監督により映画化もされている。

タキちゃんを演じた黒木華は、この作品でその存在を知ったが、タキちゃんのイメージそのもので、すごくいい。

ただ、監督自身がこの時代を生きた人だからなのか、映画では小説よりも現代パートが増えている一方で、カットされた小説のエピソードも多い。

エピソードを積み重ねていくことで、没入感が高まっていく物語なだけに、個人的には、映画よりも小説の方が物語をより楽しめるように思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?