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【短編小説】へんなともだち 〜なみちゃんの選択〜

私は今、猛烈に迷っている。

数年ぶりに会う友人と夜の食事を終えて、楽しさの余韻に浸りながら無意識に足を踏み入れてしまった帰り道のコンビニで

猛烈に迷っている。

アイスクリームコーナーの片隅で、ひときわ目立つ、シックで大人びた色気を醸し出しているハーゲンダッツを目の前にして

猛烈に迷っている。

先ほど食べた食事でお腹も心もばっちりと膨らんでいるので、締めにするならやはり、口になじみやすい王道のバニラか

それとも、クッキーの甘味と苦みをがっつり噛み締めて味わう主食としてのクッキーアンドバニラか

いやはや、ここはせっかくのほろ酔い気分をもう少し味わうために果実の力を借りてストロベリーか

まてまて、そんなことで迷っているほどに私の財布に余白はない。

今しがた、無職の私を気遣ってくれた友人が、少し多めに食事代を払ってくれたばかりではないか。

人に気を使わせている無職の分際で、私がハーゲンダッツに手を伸ばす権利なんてない。

そう考えると、無難にやはりガリガリ君か
いや、ガリガリ君に失礼か

まてまて、いくら余韻に浸っているからといって、そもそも私が今このアイスクリームコーナーの前に立っていること自体、お門違いなのではないか。

うーん。

答えが出ない。
私はその場で立ち尽くしてしまった。

*******

「なみちゃん、バイトお疲れ!」

「いやいやそっちもでしょ。はるちゃんも遅くまでバイトお疲れ様!」

「急に連絡して付き合わせてごめんね。どうしてもラーメン食べたくなっちゃって」

「ううん全然。私もちょうどラーメン食べて帰ろうかなって思ってたところだったよ。以心伝心だな」

「そうなんだ!うれしい!じゃあお腹もすいたし早速入ろうか」

ときは、大学2年生。なみちゃんと私はバイト先がご近所だったので、お互いのバイト終わり、23時すぎに合流して、一緒にラーメンを食べることになった。

「あー疲れたし、お腹すいた」

「ねぇ~」

「何にしよっかな」

「私はもう決まってるよ。お冷ついでくるね」

「え~早い」

私はお店に入って席につくなり、そそくさと近くにある冷水器に移動して、なみちゃんと2人分のお冷をつぐことにした。

季節は夏のはじまり。バイト終わりで外も暑かったし、猛烈に喉が渇いている。グラスに水がいっぱいになるのと同時に素早く手に取って、グッと一杯飲み干した。

「あー、おいしい。これでラーメンの口になった」

独り言をつぶやいて、飲み干したグラスに再度水を注いで席に戻った。

「うーん」

どうやらなみちゃんはまだメニューが決まらないようだ。

「はい、お冷」

「ありがとう」

「迷ってるの?」

「うん、はるちゃんは決めた?」

「うん、来る前から決めてた!」

「何にするの?」

「え、ラーメン」

「普通の?」

「え、普通以外に選択肢あるの?」

「いや、それはそうなんだけど、煮卵つけたりとか、海苔つけたりとか、餃子とか、チャーハンとか、明太子ご飯とかセットにしないの?」

「あー考えてなかった。最近太り気味だし、それにまじでお金ないし、だからラーメン一択だった」

「あー---」

「どうした?」

「そうだよねー---。お金ないんだよねー---」

2人ともそれなりに金欠だった。

それに、もうすぐ夏休み。
行きたい場所だってたくさんあるし、遊びたい人だってたくさんいる。

そのために社畜のように毎日バイトしているといっても過言ではない。

「まぁ、お金は深刻な問題だよね」

「うん、だから迷ってる」

「そうなんだ」

「ほんとに、どうしよう」

今の私の財布にセットメニューを頼んで食べるという余白はない。いくらなみちゃんがおいしそうなメニューを目の前にして迷っていたのを目の当たりにしたって、私のラーメン並の選択は、変わらないし、間違ってないし、揺るがない。

私のお腹がぐぅっとなる。
そろそろ注文したい。

「うーん」

「何で迷ってるの?煮卵つけるかつけないか?」
「いや違う」

「じゃあ、餃子セットにするかチャーハンセットにするか?」

「いや違う」

「え、まって、じゃあ何で悩んでるの?」

私は、空腹に耐えられずに語尾が少し強くなる。

「ラーメン並にするか、スペシャルセットにするか」

「え?」

「出会っちゃったんだよね、これ」

彼女が目の前で指さした先には、煮卵に海苔までしっかりついたラーメンの写真と、その横に餃子とチャーハンの写真が添えられていた。
どうやら全部味わえるのがスペシャルセットというらしい。

「え、金欠なんじゃないの?」

「金欠だよ」

ラーメン並とスペシャルセットでは、値段が1000円くらい違う。

「え、それならラーメン並一択じゃない?」

「そうなんだけど」

「煮卵、捨てがたい」

「じゃあ、煮卵ラーメンにしたら?」

「いや、餃子も食べたい」

「じゃあ、餃子セットにしたら?」

「いや、チャーハンも食べたい」

「そっか」

「全部、叶えてくれるもんね、スペシャルセット」

「そう、全部叶えてくれる」

仕方がないので、私は手元にあった2杯目のお冷を飲み干して、もう一度冷水器に水を汲みに移動した。

なみちゃんの気持ちもわかるが、そろそろ食べたい。なんとか、なみちゃんを説得しないと。そう意気込んで席に戻る。

「決まった?」

「まだ」

「ねぇ、そんな0か100かで悩まなくても、50くらいの間の妥協策でいくのはどうかな?」

「妥協策?」

「ほら、例えばだけど、煮卵我慢してセットはつける。とか、今日は餃子は我慢してチャーハンセットにしといて、また今度お金入ったときに食べにくるとか」

「うーん、妥協するなら、そもそも悩んでない」

「え?」

「私は今、全部食べたい。出会ってしまったからさ。どれか食べられないなら、妥協せずに、ラーメン並だけ食べる」

「そっか。苦しい選択だね」

「うん、苦しい選択だ」

仕方がないので、お手洗いに行くことにした。そういえばすでにお冷を2杯飲んでいる。
お花を摘み終わって、席に戻る。
手元のお冷のグラスについている水滴がテーブルを濡らす。
そういえば、今日はほんとに暑かった。
お冷も汗をかいている。
仕方がないので、携帯をいじる。

「よし、決めた!」

5分くらい経った頃だろうか、なみちゃんが急に勢いよく声を挙げた。

「どうするの?」

「明日死ぬかもしれないから、スペシャルセット」

「え、明日死ぬの?」

「いや、予定はないけど、いつ何が起こるかわからないじゃん?明日死んだらもう次食べられないし」

「新しい選択肢だね」

「そう?スペシャルセットに出会えたの、運命かもなって思って」

「そっか。かなり斬新な発想だよ。とりあえず食べよ。すいませーん」

なみちゃんの意思が変わらないよう即座に私は店員さんを呼んで、私はラーメン並を、なみちゃんはスペシャルセットを注文した。

「よくするの?そういう選択」

「うん、たまに」

「それにしては悩んでたね」

「悩まないと降りてこないんだよね」

「何が降りてくるの?」

「うーん、神様?明日死ぬかもしれないぞって。今を生きとけって」

「そっか」

しばらくして、注文していたメニューが届いた。
淡泊に置かれた私のラーメン並の前に、なみちゃんのスペシャルセットのメニューたちが並べられる。なぜかそれらが神々しく輝いているように感じて、思わず見惚れてしまった。

「はるちゃんもちょっと食べる?」

「え、いや、いい!」

「そう?」

「うん、私に食べる権利ない。」

「そっか。じゃあ」

「いただきます!」

2人で声を揃えて食べはじめた。
たぶん、断っていなかったらなみちゃんは私に餃子やチャーハンの一部を分けてくれていたのだろうけれど、なぜか、絶対にそうしてはいけない気がしたし、私にそんな権利はないと驚くほどにはっきりとそう思った。

「おいしいね」

「うん、おいしい!労働の後に染みるね」

「うん」

私たちは黙々と食べ続けた。あっという間に私はラーメンを食べ終わって、スープを飲み干して、箸をおく。

3杯目のお冷を飲みながら、目の前でスペシャルセットを堪能するなみちゃんを見つめた。

幸せそうだった。

なみちゃんが食べたかったメニューが全部並べられている。愛おしそうに、なみちゃんはラーメンを、煮卵を、餃子を、チャーハンを一口一口、大切そうに口に運ぶ。

神々しく輝いているのは並べられたメニューたちだけではない。それを噛みしめ、味わうなみちゃんも負けないくらいに、神々しく輝いて見えた。

まるで、神様みたいだった。

「あーおいしかった!」

「おいしかったねぇ」

「間違ってなかったわ」

「え?」

「今日のスペシャルセットの選択。おいしかったし、めちゃくちゃ幸せな気分になれた」

「そのようだね。ほんとに幸せそうだった」

「ごめんね、目の前でおすそ分けもせずに全部平らげちゃって」

「ううん、全然。いいもの見せてもらった」

「いいもの?」

「ううん、何でもない。それじゃあまた!」

そう言って私たちはそれぞれの帰途についた。
気のせいか、自転車に乗ったなみちゃんの後ろ姿の周りが光って見えた。
あたりは真っ暗闇なのに。

*******

「明日死ぬかもよ?」

立ち尽くしていた私の耳元で声がした。
振り返ってみたけれど、視線の先にいるのはレジで会計をしている別のお客さんと店員さんだけ。
距離的に彼らの声ではない。

「今買わなかったら、明日はもう食べられないかもよ?」

また、声がした。
もう何回目なのだろう。

そう言われたら、もう買うしか選択肢がない。
自分の無職のお財布事情を振り返っている暇なんてない。

私は迷わず、一番大好きなクッキーアンドクリーム味のハーゲンダッツに手を伸ばしてレジに駆け込んだ。

会計を済ませ、外に出て、家に向かって歩きはじめる。

きっと、家に着くころには、いいかんじに溶けて、一番良い食べごろになっているだろう。なんだか心が軽い。幸せな気分だ。たぶん、さっきまで飲んでいたお酒のせいじゃない。

大学2年生の夏、なみちゃんとあのラーメン屋さんに行った、あれ以来、私にはときどきなみちゃんという神様の声が聞こえるようになった。

いつも聞こえるわけじゃない。

それになみちゃんには大学を卒業してからしばらく会っていない。

それなのに、悩んでいるとき、それも猛烈に悩んでいるときに急に耳元で声がする。

「明日死ぬかもよ?」

世間は冷たくて、苦しくて、暗くて、色がない。

気づけばアラサー、お金だってないし、仕事だってないし、彼氏だっていない。先の見えない毎日を必死で食らいついて生きている。

「明日死ぬかもよ?」

そんな苦しい日常の中で、急に私はその一言が聞きたくなる。

キラキラと神々しく輝いていたなみちゃんに急に会いたくなる。

「明日死ぬかもよ?」

すでにもう私はその声を聞きたくてわざと猛烈に迷っているのかもしれない。

「明日死ぬかもよ?」

聞こえた声を頼りに、私は今を生きている。

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