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【読書】働くことに行き詰まりを感じたら『僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない/岡田斗司夫 FREEex著』
私と同じような無職という境遇にいる人が100人集まったとするならば、おそらく99人が惹かれてしまうのではないかと勝手にでも思ってしまうタイトルの本を手に取ってしまった。
タイトル通り、内容もまさに無職になってからまだ半月しか経っていないというのに、すでにそこから抜け出したくないと、就活することに大きな抵抗を覚えている私にぴったりの考え方がたくさん散りばめられた良書だった。
内容を忘れないように、感想を綴っておこうと思う。
「就職すること」を歴史的に考えてみる
世の中でよくささやかれている「大企業に就職すること」を前提に、それを絶対的正義とした就活理論を、著者は本の中で、幕末の新撰組になぞらえる。江戸時代、約260年という長い年月をかけて培われた「幕府」という絶対的存在は、1853年に日本を訪れたペリーの来航によって、いつのまにか危うい存在となり、結果的に幕府の時代は終わりを告げる。いくら長年続いていた正義とはいえ、これからはそれは通用しない、新しい正義の時代がくると考えたのが坂本龍馬や岩崎弥太郎らだったのと比較して、新撰組は、あくまでその当時の絶対的正義だった「幕府」に固執した結果、最終的には悲しい結末を迎えてしまう。
著者は、この過渡期だった幕末~明治時代にかけてを、現代と重ねて議論を続ける。
いつどの企業が傾くかもわからない、明日何が起こるかもわからない、混沌とした世の中で、それでも「大企業に就職すること」「安定した仕事に就職すること」を絶対的正義とした就活理論をいまだ前提にしている私たちは、まるで幕末の新撰組のようではないかと。
もちろん著者の一意見ではあるが、歴史から学ぶことのできる、そして、とてもうなずける内容だなとシンプルに思った。
今でこそ私自身も、その「大企業に就職すること」だけが、人生、仕事の選択肢ではないと考えているものの、就職活動をしていた大学生の頃は、その絶対的正義を中心に置いていたし疑念も抱かなかった。それから長い時間経って、震災やコロナショックや、明らかに時代が今までとは違う状況に変わっていることを目の前にしても、まだ、その絶対的正義を中心に置いている人たちが数多くいることに少し驚いてしまうことがある。別に非難したい訳でもないけれど、不思議な感覚になる。日本人の気質?みたいなものなのだろうか、他国に比べて宗教という文化が薄い分、もろく定義しづらい自分自身の存在意義みたいなものを、企業に就職すること自体に見出しているのだろうか。
就職せずにどうやって生きるの?
著者は、就職することの危うさを論じた上で、2つの生き方を提唱する。
「愛されニート」と「仕事サーファー」という新しい考え方である。
これらの記述を読んで、真っ先に思い浮かんだのは、私が大好きなyoutuber
東海オンエアのリーダーてつやだった。(敬称略)
私もはじめて見たときに衝撃を受けたのだが
この動画は、てつやの実家にて行われたかくれんぼ企画である。
見てもらうとわかるが、実家に友達をあげるばかりか、友達のりょうくんが実家を改造してしまっている。
こんなこと、私の家でやったら、親子の縁を切られると思う。
というか普通の家庭だったらあり得ない話だ。けれど、てつやも、メンバーのみんなも別に怒られることなく笑顔で、楽しんでかくれんぼしている。
これが著者が本の中で述べている「愛されニート」の真骨頂だと思った。
この企画以外にも、てつやの実家は、東海オンエアの動画の舞台として何度も使用されている。こんなことを許してもらえる彼は間違いなく「愛されている」とそう思う。
彼は人と関わりながら生きていくことを厭わない。
人とそういった関係を築けない、愛されるのが下手な人間は、お金を使って生きるのがいいでしょう。人間関係がイヤで「愛されるなんて、まっぴらごめんだ、自由に生きていたいんだ」という人は、絶対にお金を稼ぐべきです。・・・・だれにも頼りたくない、だれにも頼られたくない、という人ほど、お金が必要なのだから。
彼はメンバーやバディさんたちを中心に頼ったり、頼られたりしながら、「愛されて」生きている。彼らだけではない、今や、700万人を超える登録者はもちろんのこと、かつての押しに、人という枠組みを超えて自治体にまで愛されている。
てつやは、就職していない。
というか、これって「仕事なの?」みたいな遊びの延長上のようなもので生きている。
動画を見たら一目瞭然だが、彼は、働くというより、少年のように遊んでいる。かくれんぼにはじまり、いかだを作ったり、十字架という名の罰ゲームを背負ったり、変な料理を作ったり、旅行に行ったり、、、、。書くといとまがないが、基本的に遊んでいる。
一応、歌を歌うアーティストとしての活動とか、本を書く仕事とか、最近はホテルを開業したりとか、そういういわゆる仕事らしいこともしているが、なんだかそれらも楽しそうに、遊んでいるように見えてしまう。
彼の行動は、著者が述べるこれからの評価経済社会の時代における成功パターンであり、「仕事サーファー」、50個の仕事を同時にする→50個のお手伝いをしながら生きることの完成形なのではないかと思う。
この変化の多い世の中で、50個のお手伝いを、50個の仕事を同時にこなしていく。もちろん、稼げる仕事もあれば、まったく稼げない、マイナスな仕事もある。けれどそれは流動的な世の中においては、一時的なだけで、それらがまったく逆の結果にあることもある。
だからこそ単職、ではなく多職。
そして、周りから「愛される人」「いい人」になることで生きていく。
そういう仕事のサーフィンをして
循環をして生きていくことを目指す。
もちろん、いろんな生き方があるので、本書に書かれたことも一意見であるのは明らかだけれど、それでも、ただ、「世間でそう言われているから」というだけで、自分の納得できるもっともらしい根拠のない通説に身を委ねて、日々を鬱屈して生きるよりは、本書に書かれた、そしてそこからイメージした東海オンエアのてつやみたいな生き方にチャレンジしてみることも素敵なのかもしれない。そう思えた。
最後に、一番驚いたことは、本書の内容が、著者が2011年に同志社大学で講演した内容をベースに書かれているということである。
2011年、私はまだ高校生で、やっとLINEとyoutubeを周りが触り始めたくらいの頃だ。ちなみに、東海オンエアもまだ活動を始めていない。彼らが活動を開始するのはその2年後の2013年。youtuberみたいな言葉も私自身は聞いたことすらなかった時代に、本書が書かれている事実に圧巻だった。
きっと当時は先進的すぎて異質ともとらえられる主張だったのではないか。
著者は、本の中で提唱している「愛されニート」「仕事サーファー」「評価経済」みたいなワードの説明を身の回りの近しい人を例に挙げて説明をしているが、今現代において、それらを説明しうる例はごまんとあるのではないかと思ってしまう。恐るべし先見の明。あぁ、こういう先見の明みたいな才能ほしいなと、すごく単純に思ってしまった。けれど、別にこれって才能なんかではなくて、歴史や世の中に起こっていることに日々、しっかりと着目しているからこそ得られた結果であって。それを考えたら、まだ見ぬ未来に憂う時間を、少しでも、世界で起こっていることや、過去の歴史を学ぶことに時間を費やしていこうと思った。
学びの多い一冊だった。