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【読書】40年後の恋愛について『疼くひと/松井久子著』

もうすぐ30歳。
年々、恋愛という言葉から遠ざかっているなとふと思う。
そういえば、恋の仕方さえ忘れてしまった。
私は一体、どうやってあんなに情熱的な恋をしていたのだろうか。
まだまだ若いとはいえ、年々、こと恋愛に至っては急激に老いを感じているこの頃である。

もちろん、パートナーも結婚もしていない私は、もっと目先で考えなければならない重要な問題はあるけれども、それにへきへきしてしまっている今、なぜか「70代の恋愛」というまだ見ぬ未来の恋愛を描いていそうなタイトルに惹かれて、いわば現実逃避という名のもと、この本を手に取った。

結構衝撃的な内容だった。おそらく本書を読んだ人の意見は賛否両論はっきりと分かれるだろうなと思う。

一応「小説」という形で内容が描かれているものの、ものすごく現実味を帯びているという印象が拭えない。選ぶ言葉が正しいのかは定かではないが、とても官能的な生々しい一冊だった。

読み終えて、気になってあとがきを読んだり、ネットで調べてみると、著者は、もともと小説をずっと書いてきた人という訳ではないらしい。雑誌ライター、テレビドラマのプロデューサーを経て、映画監督になり華々しい功績を残した人で、本書は晩年、知人から提案され、映画ではできないこととして「老い」と「セクシュアリティ」という難題にチャレンジした一冊とのことだった。

著者の生い立ちを見てみても、主人公で脚本家である70歳の唐沢燿子と重なる部分が多い。さらに著者は76歳で再婚している。

こちらも一度離婚を経験している燿子ときれいに重なる。
さらに、本書が出版されたのは2021年、そして、再婚されたのは2022年。
これは一個人としての意見に過ぎないが、小説には、著者の原体験がかなり影響して描かれているのではないかと思う。つまり、その原体験があるからこそ、本書の内容はいい意味で生々しく、リアリティに溢れて描かれているので、読者側としては、自分自身の数十年後の恋愛なるものを容易に想像することができ、私自身はそれを含めて本書を楽しむことができたのではないかと思っている。

恋愛観と時代の流れ

主人公の燿子は70歳。70年も生きていれば時代は変わると客観的に見ればあたりまえだと思うが、こうやって1人の女性の人生として焦点を当てると、ものすごい速さで恋愛観というものが変化していたのだなということを思い知らされる。

今にして思えば滑稽なことに、当時、普通の家庭で育った女の子たちには、いい結婚をするための恋愛はしても、その男と結婚するまでは、断じて肉体関係を拒まなければならないという、鉄の掟があったのだ。喪失—。今では死語のようになっているその言葉が、当時は流行語のようによく使われていた。女は胎内に、結婚まで大切にすべき膜を持っていて、その膜は結婚初夜に、夫によって破られるものである。結婚前に処女を喪失した者は、「ふしだらな女」と扱われ、それが離婚原因にされることもある。そんな迷信めいたものが、珍重される時代だった。

「疼くひと」より引用

ここに書かれたような通説って、今では本当に死語に近い形になっているし、それが一人の女性が生きている人生の中で起きている出来事だと思うと、自分が40年後に生きている世界の恋愛観なんて想像がつかなくて、だからこそ逆に、今、自分を足かせのように縛っている通念みたいなものにとらわれ過ぎて生きる必要はないのではないかと、とてもポジティブに考えることができた。

40年後の恋愛

主人公の燿子は物語の中で、facebookを通じて出会った15歳年下の男性に恋をする。

もし、性行為が生殖の役割とはっきり分離されて、純粋な愛情表現や快楽のために行われるものだったら、女性はどれだけ自由で、幸福だっただろう。
まず、この思春期に始まる「月経」によって、女たちは自らの性を、暗く、忌まわしく、厄介なものと思わされてきた。また成人してからの、「妊娠のおそれ」という抑圧は、男たちのそれと比べ物にならないほど大きい。女性は本来、閉経して生殖機能を失ったとき、晴れて快楽のためだけの性愛を謳歌できるようになるという。燿子はその考えを信じている。

「疼くひと」より引用

とある50代の知り合いが「閉経する」ことは「女性としての性を失う」ことを残念そうに話していたことがあったけれど、なるほど、確かに、失ったのは生殖機能だけなのであって、本当の意味で快楽を楽しむという観点で考えれば、これほど前向きに捉えて恋をしていく燿子はとても逞しく、そして美しく映る。

燿子が望み続けた高揚は、誰かと再婚をして、夫婦でスーパーに行く日常を重ねるなかでは、得られないものだ。それを彼女は知っていた。・・・
友達の繁美をはじめ、周囲の皆が、若い日の恋愛感情を、自然に家族愛や同志愛にシフトしていくのを、燿子はときに訝しく、ときに羨ましく眺めながら、彼女たちと同じようにはなれなかったのだ。結局彼女は、いつの頃からか、孤独のなかでつかの間味わう高揚のほうを、追い求める女になっていったのである。

「疼くひと」より引用

そして、自分自身が、恋愛、結婚、不倫などさまざまな経験をしてきたからこそたどり着いた理想の恋愛像を手に入れようともがき、そして恋を楽しんでいる。たしかに歳の差に燿子自身が自信をなくすシーンこそあれど、本当に淡い恋の一物語として読むことができた。

あぁ、恋をするのに、若さも年齢も関係ないのだな。
と純粋な感想を抱いた。

70歳、私の場合、あと40年。

もちろん生きているかどうかの問題はあるけれど
それだけ月日が流れてもまだ恋をできることを前提に考えると
「恋は若いうちだけ。」みたいな、特に女性は賞味期限型、消化型の恋愛観そのもののあり方を見直した方がよいのでは。と著者の主張をそこに垣間見た気がして、これから自分自身が恋愛をしていくかどうかは別として、生きていく上で、忘れてはいけない視点だなとハッとさせられた。

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